群馬県渋川市

*参考資料 『日本城郭体系』 『関東地方の中世城館』(東洋書林)

入沢城(渋川城・渋川市渋川入沢)

*鳥瞰図の作成に際しては『関東地方の中世城館』(東洋書林)の図を参考にした。

 入沢城は成沢川と黒澤川に囲まれた比高30mほどの台地上に築かれていた。台地周囲は川に面した切岸状の土手となっており、要害地形である。また、西側の背後には山稜が迫っており、天然の城壁となっている。

 山崎氏の図を見ると、山際の方にも堀か土手による区画があったようだが、現在ではそれは見られなくなってしまっている。

 その東側の平野部が城域であったと思われる。城内は畑地と2軒の民家の敷地になっている。

 このうち、東南側の一段高い部分が主郭であったと思われ、その基部に当たる部分には深さ2m、幅8mほどの堀の跡が明瞭に残っている。その幅からしてかなり埋められてしまっているようで、本来はもっと深かったのであろう。

 この堀の北端辺りに城址碑が建てられていた。ただし、城址碑には「渋川城址」とあった。ある時期に渋川地域を代表する城郭であったものだろうか。渋川市渋川にあるので、渋川城という名称とするのもありだと思う。


 城址碑の裏側には城の歴史が彫られていた。それをまとめると以下のようになる。

 渋川城は、鎌倉時代に、足利義顕が渋川保を領有した際に築かれたもので、以降、渋川源氏の本拠地となった。

 天文13年3月、信州から入沢氏がやってきてこの地を領して本丸に館を置き、それ以降「入沢」の地名が興ったという。

 弘治3年、入沢氏は吾妻郡の大戸城主より、軍功により土地を拝領した。

 元亀天正年間、入沢氏は武田信玄・勝頼2代に渡って武田氏の家臣となったが、武田氏の滅亡後には館を廃して帰農したと言われる。
 

1郭西側に残る堀跡。幅8mほどもある大きなものである。 1郭内部。一面の草原となっていた。
1郭北側に建てられている城址碑。「渋川城址」とある。




引越山砦(渋川市渋川351)

*鳥瞰図の作成に際しては『関東地方の中世城館』(東洋書林)の図を参考にした。

 引越山砦は、入沢城の東400mほどの所に築かれていた。その位置からしても、入沢城の入口方向を固める出城の一種であったものと思われる。高さ10mほどの小丘で、引越山と呼ばれているらしい。「引越山」とはまた変わった名称であるが、いったいどのような由来があるのであろうか。

 南側は成沢川に臨む急峻な土手になっている。崩落してしまっているのか、これがまた本当に急峻な土手で、滑り落ちたら下まで滑落してしまいそうな斜面である。東側も土手が崩落してしまっており、身を乗り出すと足元が崩れてしまいそうなので気を付けた方がよい。

 『城郭体系』には「最近土地改良で消滅」とある。実際にはこのように残存しており、消滅してはないと思われるのだが、東側の削られてしまった部分の先に、もっと大規模な遺構が存在していたのであろうか。

 入沢川に臨む独立した小台地が、そのまま砦として利用されたもののようである。入口は西側にある。

 びっくりしたのは、道路沿いに城址碑が建てられていたことである。渋川市の城址で城址を見ることは少ないのだが、ここにはしっかりとした碑が建てられている。しかもまだ新しそうである。

 碑のところから進んでいくと、一段低く細長いテラス状の郭があり、そこから側面部に上がって行く道が付けられていた。これが本来の登城道のままであると思われるのだが、特に虎口に工夫は見られない。

 登ってみると、一面の平坦な地形で、長軸50mほどあり、まずまずの規模である。しかし、土塁などはまったく見られず、ひたすら平坦になっているばかりである。

 小規模ながら、コンパクトにまとまった砦といってよいだろう。


西側から見た引越山砦。右側(南)は川に臨む急峻な土手となっている。 道路沿いに建てられている城址標柱。奥に見えるのが砦の西側城塁。
砦内部から北側の城塁を見たところ。 東側恩城塁を下の道路から見たところ。東側はえぐられて垂直切岸になっている。




鐙(あぶみ)山砦(渋川市渋川289)

*鳥瞰図の作成に際しては『関東地方の中世城館』(東洋書林)の図を参考にした。

 鐙山砦は、黒澤川を挟んで入沢城の南側、比高60mほどの台地の北側縁部に築かれていた。場所が分かりにくいのだが、南側の道路のこの位置からまっすぐ北側に進んでいけば、遺構に到達できると思う。

 入沢城、引越山砦と近い位置にあることから、関連し合った城郭というように考えられているようだが、谷を挟んで入沢城と対峙するような位置になっているということ、城域が広い割には、遺構規模が半端で造成途中を思わせることから、むしろ付け城であった可能性もあるのではないだろうか。

 鐙山砦を探すのはちょっと難しい。台地の北縁近くは見通しの良くない山林(けっこう広い)となっており、どこに遺構があるのか分かりにくいのである。そのため、遺構を発見するために、山林内部をあちこちさまようことになってしまった。しかし上記の通りの場所から進んでいけば簡単に発見できると思う。

 進んでいくとまずAの浅い堀があるのだが、これは堀というよりも、溝といったレベルのもので、城郭遺構ではない可能性が高い。その先を進んでいくと1郭西側の堀の所に出る。

 城址の遺構で顕著なのはこの西側の堀である。城塁に沿って土塁が盛られており、城塁には折れも認められる。折れている部分では土塁が高くなっており、一見櫓台状に見えるのだが、実際にはそれほど広いスペースはなく、ただの土塁である。

 堀は、現状では深さが2m未満と浅くなっているが、幅は6mほどもあり、本来はもっと深かったのではないかと思われる。

 この堀の東側が郭であったと思われるが、必ずしもきちんと削平されているわけではなく、内部には緩やかな傾斜がある。それでも途中にいくつかの段差があり、2郭、3郭と続いている。

 南側の区画は1郭では明瞭であるが、2郭にはほとんど段差がない。かつてあった堀が埋められてしまったのか、もともとこのような地形だとしたら、柵などの構造物のみによって区画していたのであろう。

 そこから東側に長く延びた地形を利用して3郭がある。3郭の先端近くには帯曲輪状に造成された地形があり、南側ラインには折れも見られる。しかし、2郭との接続部分では、南側の区画がなくなってしまっており、城郭としては不完全な印象を受ける。

 以上、かなり広大な城域を有しているわりには、遺構は明瞭ではなく、城郭的な区画を見つけられない箇所もある。もしかすると築城途中のままであるのかもしれない。もしそうであるとしたら、やはり、入沢城の出城というよりは、付け城の線が考えられると思う。

鐙山砦の位置は非常に分かりにくいが、このビニールハウス正面奥にある。このまままっすぐに進んでいくと、Aの堀状遺構に到達する。 1郭西側の堀。ヤブになっているが、左側はかなり幅広の堀である。
1郭城塁の土塁を城内側から見たところ。 1郭城塁の折れ部分の角にある土塁の高くなっている部分。
1郭南側の城塁。




福嶋城(渋川市祖母島1116-1)

*鳥瞰図の作成に際しては『関東地方の中世城館』(東洋書林)の図を参考にした。

 福嶋城は、県道35号線から降って行った先にある、北側の低地に望む比高20mほどの台地先端部を利用して築かれていた。崖端城といった位置取りの城郭である。城址の北端を削るようにJR吾妻線が通っている。

 城は北側に張り出した台地地形を利用したもので、東南側には大きな谷津が入り込んで区画を成している。西側は台地続きであったのかもしれないが、見事に掘り切られている。

 南側が台地続きとなるので、この方向に堀が掘られていたようである。ただし、現状では西側の堀はかなり浅くなってしまっており、わずかな段差のみで城内に接しているように思われる。

 城内は2軒の民家の敷地内となっているので、自由に歩き回ることはできなかったのだが、段差によって区画された2つの郭によって形成されていると思われる。

 福嶋城はまとまりのよい城郭で、城を形成しやすい地形を用いているため地形なりに独立性を保っている。城内はかなり広いので、それなりに多くの兵を駐屯させることもできたであろう。


 福嶋城は、福島佐渡の居城であったという。

福嶋城の虎口。右手はかなり深い堀切となっているのだが、竹が多すぎて写真撮影は不可能であった。 2郭南側の城塁。鋭い切岸である。
西側の堀切跡。 北西側の城塁(左手)。




金井寄居(渋川市金井1589寄居台)

*鳥瞰図の作成に際しては『関東地方の中世城館』(東洋書林)の図を参考にした。

 金井寄居は、県道35号線から北東側に突き出した微高地上に築かれていた。定住促進住宅金島団地のすぐ南側である。北側のラインに沿って川が流れている。

 平野部にあるため、たいした要害性は感じないが、西側は小川に臨む土手となっており、東側も下の低地とは数mの土手があり、それなりの区画性は維持されている。この南北に細長く延びた部分が城郭であったらしい。

 山崎氏の図を見ると、大手と呼ばれる部分には食い違いを持った堀切が存在していたようである。現状では数軒の民家の敷地となっているので、堀は消滅してしまったようで、これについては古い航空写真でも確認することはできなかった。したがって、山崎氏の図を基にして想像してみたものである。

 人工的な区画は、この堀切だけだったようで、単郭構造の城郭であったと見てよさそうである。


 金井の寄居は、千吉良氏ら、金井地衆の寄居であったという。








金井寄居の東側の城塁。 北側先端部分。川に架かる橋から撮影したところ。




























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