群馬県渋川市

*参考資料 『日本城郭体系』 『関東地方の中世城館』(東洋書林)

*参考サイト  城逢人   土の城への衝動

八崎城(渋川市北橘町分郷八崎御城・城ノ内)

 八崎城は、八崎地区の南端近く、利根川に支流が注ぐ部分を中心に築かれていた。南端部分を関越自動車道が通っている。

 八崎城は、白井城に次ぐクラスの巨大な城郭であったとのことであるが、現状では、遺構の大部分を失ってしまっており、かつてのそういうイメージをつかむことも難しい。

 城の中心部を目指して進んでいくと「八崎城 55m」と書かれた看板が目に入ってくる。横に長い看板で右側に空白があるので、これを見たら、右手に曲がっていくのが普通であろう。というわけで右に55m進んでみたのだが、そこは民家の敷地内であり、案内板も何もない。

 そこで再び先の案内のところに戻って再検討。右が違っているのなら、まっすぐ進んでいくしかない。しかし、まっすぐだと土手を降りていく形勢である。城に行くというのにこれでよいのだろうか。

 しかし、それが正しいルートであった。正面の坂道を降りていくと、再び登り坂になるのであるが、その入り口付近に案内板が設置されていた。土手を降ったと思っていたのは、どうやら堀の跡を通過していたということだったらしい。となると、この堀は幅10m以上もあり、なかなかの規模である。白井城に次ぐ規模の城郭であったということも納得できる部分である。とはいえ、この堀もかなり改変されてしまっており、一見して堀とは気が付かないかもしれない。

 案内板の先の平場部分が主郭である。長軸100mほどはあり、これだけでも結構広いのであるが、一部分は、利根川に削られて崩落してしまっているようだ。本来はこの倍くらいの広さがあったのかもしれない。

 この主郭部分を中心に、何本かの堀を入れた大規模城郭であったらしいのだが、2郭遺構の堀は隠滅してしまっているようで、現状では主郭のみが残されているという状態である。

 城全体の構造としては、利根川の断崖と、東側を流れる支流によって囲まれた区域が城内ということになるので、東側の川も見てみることにする。こちらも、かつては堀であったらしい雰囲気はあるが、両岸をコンクリートで固められてしまっていたりして、あまり城の堀という感じはしなくなってしまっているのが残念である。

 八崎城は、天文年間(1532〜1555)に白井長尾氏によって築かれた。白井城の有力な支城として、城代を置いて守らせていたという。上杉・武田・北条・真田といった諸勢力の抗争に巻き込まれ、幾度となく戦場になった城郭であるという。







御城の手前にある案内。この表示だと右手に進んでしまうのだが、実際はこのまま正面を降りていくのである。 途中にある御城の堀。
御城にある案内板。 東側を流れる川が天然の堀となっていた。









































大竹屋旅館