群馬県前橋市(旧大胡町)

*参考資料 『日本城郭体系』 『関東地方の中世城館』(東洋書林)

稲垣屋敷(前橋市大胡町樋越字長田山)

*図の作成に際しては、『関東地方の中世城館跡』(東洋書林)の山崎一氏の図を参考にした。

 稲垣屋敷は上毛電鉄樋越駅のすぐ北西側にあった。西側に川が流れ、東側には池があるという好立地にある。北側の区画は今回は確認してはいないが、水路があって城域を区画しているようである。

 ただし、東側の池は、現在ではすっかり埋められてしまっており、かつての地形を伺い知ることはできない。

 また、城内も宅地となっているため、詳細は不明であるが、平地の居館であったものである。


 稲垣屋敷は、稲垣長茂の居館であったという。稲垣氏は後に伊勢崎の赤石城に移っていくことになるという。










東側の池はすっかり埋められてしまったようだ。 西側の小川を天然の堀としていた。




横沢城(前橋市大胡町横沢288)

*図の作成に際しては『関東地方の中世城館』の山崎一氏の図を参考にした。

 横沢城は、前橋市役所大胡清掃工場の東500mほどのところにある。寺沢川に臨む比高8mほどの微高地上である。北側から南側に向かって突き出した舌状台地の形状をしており、北側の台地続きの部分を区画することによって、城郭としての独立性を維持している。

 城内は民家と牛舎になっているので、あまり細かいところまで探索はできなかった。特に堀のある山林化した部分との接点には鉄条網が張られており、立ち入りさせたくないという意思が感じられる。そのため、堀の形状をきちんと確認することができなかったので、図の点線部分はかなり想像に頼ったものである。ちゃんと歩いてみれば、一部は堀が現存しているのではないだろうか。








 横沢城は、井上玄蕃の居城であったという。







Aの堀跡。虎口であったかもしれない。 上の段の城塁。
東側の川に臨む土手。 南西部の堀跡は、このように埋められてしまっているが、かなり幅のある堀であったようだ。





































大竹屋旅館