群馬県前橋市(旧粕川村)

*参考資料 『日本城郭体系』 『関東地方の中世城館』(東洋書林)

中村城(鍛冶屋敷・前橋市粕川町中496)

*図の作成に際しては、『関東地方の中世城館跡』(東洋書林)の山崎一氏の図を参考にした。

 粕川町中496番地のお宅の一帯が中村城の跡である。単郭方形に近い形であるが、宅地化によって北側以外の三方向の堀は埋められてしまっているようだ。しかし、北側の遺構は良好に残されており、北西側の一角に中村城に関する案内板が立てられている。

 北側の堀も中央付近は埋められてしまっているが、それでも折れを伴った構造を見ることができる。堀の深さは2m、幅は5mほどで、水堀であったものと思われる。

 南半分の遺構は湮滅してしまったようだが、東側のラインは、堀や土塁こそ残していないものの、高さ1mほどの土手が南北に延びていて、かつてのラインを推し量ることはできる。

 現地案内板によると、城全体の規模は170四方ほどであったと推定されている。



 中村城は、中村右馬之丞の居館であったという伝承が残されているが、それについて正確なことは分からない。折れを伴った城塁を巡らせており、戦国期の平城であったと想定することができる。














北側の堀。現在も水が残っている。 西側に残る堀。




月田館(前橋市粕川町月田字鍛冶屋敷)

*図の作成に際しては、『関東地方の中世城館跡』(東洋書林)の山崎一氏の図を参考にした。

 月田館は、中村城の北方200mほどのところにあった。

 鍛冶屋敷という地名は、すぐ南側にある中村城の別名と一緒であるが、何かの関連があるのであろうか。

 現状では宅地となってしまっているために内部探索を行っていない。しかし、山崎氏の図と古い航空写真を参考にして想像すると、右の図のような1辺が80mほどの方形の区画が想定される。

 遺構はほぼ湮滅状態であると思われるが、北側には水路が通っており、これがかつての堀の名残であったと思われる。


 月田館は、長岡玄蕃の居館であったと言われている。










北側に水路が残っていたが、これが堀の名残であろうか。





































大竹屋旅館