群馬県片品村

*参考資料 『日本城郭体系』 『関東地方の中世城館』(東洋書林)

*参考サイト 土の城への衝動  儀一の城館旅 

古仲城(片品村越本字古仲)

 *鳥瞰図の作成に際しては、山崎一氏の図および土の城への衝動儀一の城館旅を参考にした。

 古仲城は片品村にある城郭である。国道401号線の戸倉大橋南西600mほどの所で、北側から南東に突き出した半島状の台地を利用したものである。半島部分を廻るように片品川が流れているが、川沿いの部分は流れに削られて断崖となっている。また、南側はもともと渕であったようで、現在ではダムが形成されている。

 城のある部分の下方の岩盤もすごい。下からよじ登るという選択肢はまったく考えられない。まさに天然の要害と呼ぶのにふさわしい地取りとなっている。

 この城址に訪れるために、はるばる片品村までやってきた。この地域に来たのは、昔、尾瀬にキャンプに来た時以来である。尾瀬やスキーでこの地域に来る人は多いだろうが、古仲城を見るためにここまで来る人はめったにいないだろうなあ。よくぞはるばる来たものだ。『城郭体系』にも、「これより上流には城郭は存在していない」とある。

 城に訪れるためには、大園寺の辺りから国道から別れ、村道に入って行く。狭い山道だが、対向車はめったに来ないので大丈夫。この道を進んでいくと、やがて道の脇に「古仲城→」という案内が立てられているので、それに従っていけばよい。ただし、駐車場がない。進んで鉄塔の辺りまで行けば、そこに停めて置くことも可能なのだが、ちょっと不安な道である。

 鉄塔の所から斜面を降りていくと、城のある台地との間を流れる川に架かる橋がある。といっても木を1本渡してあるだけで、だんだん腐食しつつある。そのうち渡れなくなってしまうかもしれない。

 橋を渡るとすぐに堀切が見えてきた。高さ4mほどのしっかりとしたものである。ここからがいよいよ城内。

 登ってみると、土塁があるのだが、土塁は二重構造になっていた。珍しい構造である。地方の城郭にしては、技巧的な加工を施そうとした跡といっていい。だが、城内側の堀は、さほど防御力をもたらすとは思われない。ここが3郭である。

 進んでいくと浅い堀と土塁がある。これを過ぎたところが2郭である。2郭の城塁は南西側に湾曲しており、そのため3郭よりはかなり広くなっている。

 この土塁から外側を覗き込んでみると、ほとんど垂直斜面である。ここを滑り落ちたらひとたまりもない。むやみに塁上を歩くのは危険である。

 さらに進んでいくと土塁が食い違い構造になっている部分があり、これを抜けたところが1郭ということになるだろう。ところが、ここがちょっと分かりにくい。位置からして、この先端部分が主郭であるはずである。面積もかなり広くなっている。ところが、この部分、削平がきちんと成されていないのである。まあ、これでも建造物を無理やり建てようと思えば、建てられなくもないであろうか。

 その先、先端部分が盛り上がっている。一見、櫓台のようにも見える部分であるが、櫓を置けるほどのスペースはなく、土塁というべきものである。削り残しの土塁であったろう。

 古仲城は、大規模な城郭ではないが、非常によくコンパクトにまとまっており、そこそこの人数が籠城することもできる。要害性も抜群であり、守に堅い城郭である。しかし、背後に逃げ場はない。もし、城内に攻め込まれてしまったら、後は断崖上から転げ落ちていくしかない。落ちたくなければ戦うしかない。背水の陣そのものの城郭である。


 古仲城の城主は古仲(小中)彦兵衛であった。古仲氏は、長尾政虎の関東進出に際してはこれに従い、沼田城において政務を見るなど、それなりの勢力を有していた。謙信旗下80余将の中にもその名前が見えるという。しかし、その後の古仲氏の消息は不明である。

城の先端部分の下。岩盤の間を片品川が流れている。 鉄塔の脇から登城道を進んでいくと、川に架かった木橋を渡る。腐食しつつあるようで、注意が必要だ。
3郭北側の堀切。 3郭内部。南側に土塁がある。北側は二重土塁になっている。
2郭内部。やはり土塁はしっかりと廻らされている。 土塁上から南側のダム方向を見たところ。滑り落ちたら下までまっさかさまである。
1郭内部。奥に先端の土塁が見える。 先端の土塁上に立てられた標柱。
1郭北側先端部から、下の片品川を覗き込んだ所。 対岸から1郭城塁を見た。鋭い断崖である。




寄居山城(片品村鎌田)

*鳥瞰図の作成に際しては、山崎一氏の図および土の城への衝動を参考にした。

 寄居山城は、片品町役場の南300ほどの所にある。片品川が西側に蛇行する地点に屹立する段丘上で、川面からの比高は40mほどある。川に面した部分は、御多分に漏れず断崖となっており、要害性の高い場所である。

 国道120号線から西側の台地先端部方向に入り込んでみると、すぐに駐車場がある。だから車を停めるのには苦労しない。そのすぐ西側が高台になっているので、そこが城址であることはすぐに分かる。

 上がってみると、上は2段構造になっていた。これが城址なのだと思われる。地形的にはそれらしいのだが、公園化が為されすぎていて、城らしい雰囲気はかなり失われてしまっている。城に関する案内も説明も何もない。1郭には立派な石碑が建てられているのだが、これは忠魂碑であった。

 1郭から西側に尾根が長く延びている。上から見ると、その尾根の途中が削れていて、二重堀切のように見えている。しかし、これは堀切ではなく、天然の崖が入り込んでいるためにえぐれたものであった。ここから下を覗き込んでみると、ものすごい断崖である。やはり要害地形であったのだなと分かる。

 城の構造はこれだけであり、やや手狭な印象を受ける。本来は駐車場のある辺りも郭であったのかもしれないが、開発されすぎていて、なんともいいようがないのであった。『城郭体系』には「南縁に土居がある」とあるが、これも現在では失われてしまったようだ。あるいは「ほっこりの湯」辺りにあったのであろうか。


 寄居山城についての歴史等は未詳である。
 




駐車場から見る2郭城塁。 2郭内部。
1郭内部。忠魂碑は建てられているが、城関係の案内板はない。 1郭から東側に延びている尾根。一見すると二重堀切があるように見えるが、実際には断崖でえぐられているだけである。
その竪堀状の断崖の1つ。落ちたらただではすまない。 1郭北側の城塁。





































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