【佐屋街道5日目のつづき】 :東神守バス停〜名鉄佐屋駅(8.2km)

5.佐屋宿  (現在の愛知県津島市神守町)


埋田追分から先の佐屋街道は区画整理によって消失してしまっているので、道なりに西に進みます。 この道は津島街道と呼ばれ、江戸時代には津島神社に向かう参拝客が利用しました。 常夜灯の間を抜けると、途中で折れた大柱が2本立っています。これは津島神社一の鳥居の名残です。 伊勢湾台風により鳥居は大破し、現在では土台部分しか残っていないのです。 土台部分だけでもこの大きさなので、江戸時代にはさぞかし大きな鳥居が立っていたのでしょう。

常夜灯  津島神社鳥居跡

一の鳥居を潜り、ほぼ真っ直ぐにしに進むと津島神社があります。ついでなので津島神社に立ち寄ることとしました。 名鉄津島駅の西側は都会化されてしまっていますが、それでも一歩細い路地に入ると古い建物が沢山残っており、江戸時代の姿が想像できます。

津島町並み  道標

長い参道を歩き、ようやく津島神社に到着です。

津島神社
540年(欽明天皇の時代)に鎮座したと伝えられている。建速須佐之男命を主祭神としている。 古くは、除疫、授福の神である「牛頭天王社」とも呼ばれた。織田家が氏神として崇敬し、豊臣氏、徳川氏からも厚く信仰された。 江戸時代には「津島参らにゃ片参り」と言われ、伊勢参りの際には、津島神社にも参拝することがならわしとされていた。


津島神社

津島神社の南には天王川公園があります。現在ではどう見ても池なのですが、「天王川」の名の通り、昔はちゃんとした川でした。 かつての天王川は、木曽川の支流である佐屋川に合流していたため、尾張から伊勢に向かう水路として利用され、津島は門前町・湊町として繁栄したそうです。 しかし、江戸時代に、天王川は治水のためにせき止められて水運に利用されることは無くなりました。天王川公園の隅にはひっそりと「津島湊跡」の碑が立てられています。

「津島湊跡」の碑  天王川公園

天王川公園ではちょうど「尾張津島藤まつり」が行われていました。
かつて津島は「藤浪の里」と呼ばれ、藤の名所として有名だそうです。

藤祭り  藤祭り


佐屋街道に戻ります。
佐屋街道は埋田追分から南西に延びていたはずなのですが、区画整理のために現在ではその道を辿ることは非常に困難です。 ただ、愛宕神社の脇には南西に走る細い道があり、佐屋街道の名残ではないかと言われています。

佐屋街道名残

愛宕神社を過ぎると佐屋街道は再び消失します。仕方がないので、とりあえず佐屋宿方面を目指します。
途中で「海抜0メートルの高さです。」と書かれた看板を見かけました。僕の方の位置が海抜0mの高さのようです。海水面より随分低い場所を歩いているので驚きです。

0メートル地帯  海抜0メートル

田園風景の中を歩いていると、「佐屋海道址」の碑を発見。佐屋街道を語り継ぐために1979年に作られた記念碑です。 佐屋街道を歩こうと思った場合、現在の道路事情ではこの碑の横を通るのが適当かと思うのですが、 地図を見た感じでは江戸時代の佐屋街道がここを通っていたかどうかは怪しいと思います。

佐屋海道址

須依交差点で西方面へ右折したら、かつて佐屋宿があった地区になります。

佐屋宿町並み

佐屋宿に入って最初の分岐路に小さな道標が立っています。
(正面) くひな塚 是より南一丁
道標にしたがって南に延びる細い道を歩いていくと、水鶏塚(くいなつか)があります。

水鶏塚
元禄7年(1694)、俳聖松尾芭蕉が、江戸から故郷伊賀の国への帰郷の途中に、 佐屋の門人であった素覧亭に逗留した折りに詠んだといわれる『水鶏鳴くと人のいへばや佐屋泊まり』の句。 この句碑は、その場に同席した俳人達が、その後享保20年(1735)5月12日に芭蕉の威徳をしのんで建てたといわれています。(愛西市教育委員会)


水鶏塚道標  水鶏塚

佐屋街道に戻り、宿場町を西に向かいます。 佐屋宿は「三里の渡し」の渡し場があったこともあり、本陣2軒、脇本陣1軒、脇本陣格1軒、さらに多くの旅籠があり大いに繁栄しました。 しかし、木曽川からの土砂の流入により佐屋川は徐々に浅くなり、最終的に埋め立てられて廃川となりました。 佐屋川を失った佐屋宿は一気に衰退し、現在では往時の繁栄ぶりをうかがい知ることは出来ません。

古民家

佐屋交差点の手前に「左 さや舟場道」と書かれた道標があり、この辺りが佐屋宿の西端でした。 道標の北側には佐屋代官所址の碑があります。代官所では「三里の渡し」を利用する旅人を取り締まっていました。

道標  代官所址

代官所址の裏側には「愛西市の歴史にふれて散策しよう!」と題された案内板が設置されていました。 佐屋宿、三里の渡しを初めとした佐屋街道の歴史が詳しく紹介されています。案内板にはかつての佐屋の渡し場を描いた絵も載せられていました。

案内板  絵図

佐屋川は埋め立てられ、佐屋の渡し場も消失し、かつて佐屋三里の渡しで賑わったであろう渡し場は見る影もありません。 ただ、佐屋交差点の南西にあるゲートボール場の片隅に「東海道佐屋路 佐屋三里之渡跡」と書かれた記念碑が立っており、 江戸時代ここに渡し場があったことを現在に伝えています。

記念撮影


(佐屋街道編・おしまい)
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