【佐屋街道5日目】 :東神守バス停〜名鉄佐屋駅(8.2km)

4.神守宿  (現在の愛知県津島市神守町)


佐屋街道5日目は、神守一里塚から歩き始めます。少し歩くと、神守町下町交差点で右折して北へと方向を変えます。 江戸時代の佐屋街道は神守町下町交差点で突き当たり(丁字路)になって、桝型のような道筋になっていたようです。 現在では、丁字路を突き抜けるバイパスが造られて、ほとんどの車はバイパスを通るようになってしまいました。 そのため神守宿は開発から逃れることとなり、現在でも古い建物を幾つか見かけることが出来ます。 かつての神守宿は上町、中町、下町に別れており、現在の神守町下町交差点付近から旅籠屋や商店が建ち並んでいました。

右折

こちらは中町付近で見かけた道標。「石薬師」と刻まれているので、かつて神守宿にあった薬師堂へ向かう道を示しているのでしょう。

道標

上町には格子窓の古い建物が残っています。すごく立派な建物です。

神守宿町並み  神守宿町並み

神守宿を北上してきた佐屋街道は、上町で突き当たり左折して西へと進行方向を変えます。 この曲がり角に、かつて神守宿本陣がありました。 残念ながら本陣の建物は残っておらず、代わりに電信柱の影にひっそりと「神守の宿場跡」の碑が立っています。

左折  案内板

こちらは本陣跡の隣にある六角堂。 説明板によると、この延命地蔵は宝暦8年(1758年)に祀られ、文政3年(1820年)には檀徒及び村人の厚い信仰により六角堂が建立されたそうです。 人々は村内安全、子孫繁栄を願い、旅人は道中の安全を祈ったと伝えられています。

六角堂

本陣跡で左折し、西へと向かいます。ここにも古い蔵などを見ることができます。

古民家  古民家

神守宿を抜けると、佐屋街道は神守町下町で別れた県道と再合流し、一気に交通量が増します。 直線道をひたすら西へと歩くと、日光川に架かる日光橋に差し掛かります。 日光川は水運に利用され、昭和の中頃までは木材や石炭を積んだ船で賑わったそうです。 日光橋は2008年に改修され真新しい橋となっていました。橋の袂には、旧親柱や基礎杭が展示してありました。

橋を渡る  旧日光橋

日光川を渡り、津島市の中心部へと進んでいきます。日光川橋の袂にあった説明板によると、この辺りは川の水面より低い地域のようです。 「津島」という名前から分かるように、かつては川の中州に浮かぶ島のような土地だったようで、昔からきっと洪水で何度も悩まされてきたのだろうと思います。

防災看板

津島市役所の前で左折して細い道へ入っていきます。ここ埋田は佐屋宿・三里の渡しに向かう道と津島神社に向かう道の追分(分岐点)でした。

埋田追分
埋田町のここには津島神社(天王様)の一の鳥居(昭和34年の伊勢湾台風で倒れて台石のみ)と常夜灯(夜通し明かりを灯す登楼)、 一対追分(分かれ道)をあらわす道標が残っている。 江戸時代、ここから右は津島神社への道、左は「佐屋の渡し」への佐屋街道と分かれる所で、江戸時代の終わり頃には茶店などもあって通る人々で賑わい、 大正時代頃までは松並木が続いていた。
(埋田追分の説明板より抜粋)

江戸時代に書かれた『尾張名所図会』にも埋田追分の様子が描かれています。道標と常夜灯、鳥居の配置が現在でもそのまま残っていることが見て取れます。 道標の隣にある橋を渡って絵の左の方に続いている道が佐屋街道のようです。

埋田追分  尾張名所図会

埋田追分道標には次のように刻まれています。
(東面)右 つしま天王みち
(南面)東 あつた なごや 道
(北面)左 さやみち

道標南面    道標北面

佐屋街道は埋田追分で左折し、小川に架かる橋を渡って南西へ向かうのが本来の道筋なのですが、区画整理によってかつての道筋はほぼ完全に失われてしまいました。 現在の埋田追分には左折する道すらないので、仕方なく佐屋宿方面へとそれっぽく歩きます。


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