【佐屋街道3日目のつづき】 :烏森駅〜万場小橋バス停(3.7km)

3.万場宿  (現在の愛知県名古屋市中川区万場)


庄内川に架かる万場大橋を渡ります。橋の上には名古屋高速が走っています。
橋を歩いてみると庄内川の川幅の広さが実感できます。 江戸時代には、現在の万場大橋の少し下流側に渡し場があり、船で庄内川を渡っていました(万場の渡し)。

万場大橋

橋を渡り終わって、堤防沿いに少し歩くと秋葉神社があります。 狭い敷地内には、かつて渡し場に置かれていた常夜灯や、明治時代に架けられていた万場大橋の石柱が置かれています。 万場の渡し場は、この秋葉神社から約100m南にありました。

秋葉神社  常夜灯

渡し場から西に延びる佐屋街道沿いに万場宿がありました。 万場宿と岩塚宿は距離が近いため、制度上この2宿で1宿の扱いとなっており、月の前半15日間を万場宿が、 また月の後半15日間を岩塚宿が交代で宿場の役割を果たしていました。
しばらく西に進むと覚王寺があります。お寺の入口には「ちゝの観音医王山覚王院」と書かれた大きな石柱があります。 「ちゝの観音」の名は、「観音様のお告げで、覚王寺境内にある乳の木の実を食べたら、乳の出が良くなった」という逸話から来ているそうです。

万場宿町並み  覚王寺

国玉神社の南西で佐屋街道は直角に右折します。かつてここに高札場があったそうです。現在では大きな登楼が立っています。
曲がり角を過ぎるとすぐに光圓寺があります。このお寺の立派な山門は、織田信長と斉藤道三が会見した富田村聖徳寺(尾西市)の山門を移築したものだとされています。

聖徳寺における信長と道三の会見
美濃の戦国大名・斉藤道三は、自分の娘婿である尾張の織田信長に一目会いたいと思い、美濃と尾張の国境にある聖徳寺で会見を行うこととなりました。 一足早く到着した道三は、町はずれの小屋に身を潜め、聖徳寺に向かう信長を隠れて見ることとしました。
やってきた信長は、馬に横乗りし、服装も乱れており、 世間の評判通り正に「おおうつけ」の様に見えました。 しかし引き連れていた槍隊、鉄砲隊などは実に立派な備えであり、道三の軍隊を凌ぐすばらしさでした。 しばらくして会見場で道三の前に姿を現した信長は、先程とは違い、正式な服装に着替え、立ち振る舞いも立派な物でした。 会見の後、道三は「やがて美濃は信長の家来になるだろう」と言ったそうです。


右折  旧聖徳寺山門

【佐屋街道4日目】 :万場小橋バス停〜東神守バス停(6.3km)

宮宿〜佐屋宿は6里(約24km)なので、元気な人なら1日、普通の人なら2日あれば歩き切れる距離だと思うのですが、 いかんせん長い距離を歩けないので、ついに佐屋街道歩きも4日目に突入です。
万場宿を出てから、佐屋街道は右折、左折を繰り返しながら北上し続けます。 昭和初期頃までは、ここから秋竹付近までの街道沿いに松並木が続いていたそうですが、戦時中に木材需要のために伐採されてしまい、現在では松は一本も残っていません。

右折  左折

佐屋街道は砂子地区を抜けていきます。 砂子は佐屋街道の草創期に御伝馬所が設置されて宿場町格だったそうですが、万場宿との距離があまりに近くてバランスが悪かったこともあり、 わずか3年で宿場町は廃止になったそうです。『徇行記』によると、新川を渡った西岸には茶屋が数軒あり、立場として旅人が休息を取っていたそうです。 砂子の曲がり角に、高札場があり、現在では高札場跡の碑が立っています(右下の写真)。カーブミラーに隠れていて、見逃してしまいそうです。

佐屋街道標識  左折

砂子あたりから佐屋街道沿いに地蔵堂を幾つか見かけるようになります。なかには瓦がいっぱい乗った立派な屋根をした地蔵堂もありました。

地蔵堂  地蔵堂

高札場を過ぎると佐屋街道は徐々に西へと方向転換します。
途中にある稲荷神社の境内をふと見たら、狛犬の前に郵便受けらしきものがあります。 「こんなところに何故ポストが?誰宛の手紙を受け取るんだ?」と不思議に思いながら近づいてみると、ポストには「御賽銭」と書いてありました。 賽銭箱の代わりにポストが置いてあるらしい…。

稲荷神社

この稲荷神社の近くに、、かつて眼病治癒の御利益で知られた「馬嶋明眼院」へ向かう道がありました。 佐屋街道との分岐点に置かれていた道標は、大治南小学校に移設保存されています。
(正面) 従是馬嶋明眼院道 七町アリ

馬嶋明眼院
もともとは天台宗のお寺で、五大山安養寺といった。南北朝時代に衰退したが、清眼僧都が薬師如来の夢告により眼病治療の秘法を授かったとされる。 江戸時代初期に後水尾天皇の皇女の眼病を治癒したことから「明眼院」の称号を与えられた。江戸時代には全国から眼の治療をしに患者が訪れたという。


馬嶋明眼院道標

東名阪高速を潜り、西へと向かいます。 あとになって知ったのですが、この高速を越えてすぐの所に「恥ずかしながら〜」で有名な横井庄一さんのグアムでの暮らしを紹介する横井庄一記念館があるそうです。
しばらく歩く、七所神社があります。この周辺に一里塚跡があるはずだが…、とキョロキョロしていると、細い一里塚跡の碑を何とか発見。全く存在感がない一里塚跡です。

高速高架  一里塚跡

右側に緩やかにカーブした後、信号のある交差点を左折します。この交差点の名前は「狐海道東」というちょっと変わった名前。 多分この付近にはキツネにまつわる昔話でもあるのではないかと勝手な想像をしながら西へと向かいます。
秋竹付近から佐屋街道は直線道となります。名古屋市と津島市を結ぶ道路で、この辺りから街道沿いの店舗数も一気に増加します。

狐海道東  西へ

七宝役場北交差点の北西角に「七宝焼原産地道標」があります。 この道標は明治28年に設置されたもので、正面上部にローマ字表記があるのが特徴です。 七宝焼は旧七宝町原産の焼き物で、明治時代に多く輸出されており、直接この地に買いに来る外国人のためにローマ字表記がされているそうです。
(正面) 七宝焼原産地 遠島 Shippoyaki Toshima

七宝焼原産地道標  ローマ字道標

神守交差点を過ぎると神守一里塚があります。佐屋街道に残る唯一の一里塚となります。この一里塚を過ぎると、神守宿となります。

神守一里塚


back home go