【佐屋街道2日目】 :金山総合駅〜烏森駅(3.4km)

2.岩塚宿  (現在の愛知県名古屋市中川区岩塚町)


佐屋街道の旅2日目は佐屋街道と美濃路の追分から西に向かって歩き出します。
歩き出してすぐに堀川に架かる尾頭橋を渡ります。尾頭橋の欄干には、江戸時代の街道風景や佐屋街道の説明が描かれています。 ちなみに、尾頭橋の近くには場外馬券売場(WINS)があり、尾頭橋は休日には競馬ファンで賑わいます。

尾頭橋  欄干の絵

尾頭橋は、堀川に架かる7つの橋の中で最も海に近く、頻繁に被害に遭いました。 水神様の祟りであるかもしれないという村の人々の話を聞いた旅の僧が「自ら人柱になろう」と言い、生き埋めになった、という逸話があるそうです。 この僧の霊をともらうために尾頭橋の袂に七橋供養碑が建てられました。この碑は、現在では金山駅南の畑中地蔵の敷地内に移設保存されています。
碑には「願主 魚屋 伝吉 七はしくやう」と刻まれています。

七橋供養碑

尾頭橋を渡り佐屋街道を西へと歩きます。唯然寺には「津島街道一里塚」の碑が立っています。 ここで「津島街道」と書かれているのは、佐屋街道が途中まで津島神社への参拝道を兼ねているためです。

津島街道一里塚

この辺りには「二女子」「四女子」「五女子」という珍しい地名があります。 『昔、古渡村の裕福な家に7人の娘がいて、近在の村々に嫁ぎ、それぞれが多くの子を産み子孫繁栄したという。 そこで一女子から七女子までの地名となった。』というのが地名の由来だと言われています。現在では、二女子と四女子と五女子のみ地名が残っています。

五女子  二女子

途中、中川区福祉会館前に佐屋街道記念碑がありました。ベンチもあり、ポケットパークといったところでしょうか。佐屋街道に関する説明板もあり、勉強になります。近くには明治天皇小休憩所の碑が立っています。

佐屋街道記念碑

中川運河に架かる長良橋を渡ります。長良橋は新しい橋ですが、欄干には江戸時代の籠の絵が描かれています。 北の方には名古屋駅前の高層ビル群が少し霞んで見えます。

欄干の絵  名駅遠望

中川運河を渡ってすぐの公園にも「明治天皇御駐輩之所」の碑が立っています。こう見ると、明治天皇はあちこちで休憩しているようです。

明治天皇記念碑

近鉄烏森駅の手前にある交差点には、かつて荒子観音への道標がありました。現在では荒子観音の境内に移設保存されています。 道標の正面には観音様が刻まれています。うまく判読できませんが、右面には「右 あらこくかんをんみち」と書いてあるようです。

荒子観音
天平年間に創建され、尾張四観音の一つとされる(他は甚目寺観音、竜王寺観音、笠寺観音)。 多宝塔は室町時代(1536年)に再建されたもので重要文化財に指定されています。円空が滞在していたことから、多くの円空仏が当寺に保存されている。


荒子観音  道標

荒子観音のすぐ南には、かつて荒子城があり、前田利家はこの地で誕生したと伝えられています。 前田利家や息子の前田利長が相次いで北陸に移ると、荒子城は廃城となりました。あおなみ線荒子駅前には槍を持った前田利家の像が建てられています。

前田利家像

【佐屋街道3日目】 :烏森駅〜万場小橋バス停(3.7km)

佐屋街道の旅3日目は烏森(かすもり)駅から西に向かって歩き出します。
スタートしてすぐ高架をくぐります。尾頭橋から秋竹に至るまで、佐屋街道の街道脇には松並木が続いていたそうです。 松並木は昭和初期まであったそうですが、戦争中に伐採されてほぼ消滅してしまいました。 それでも近年まで烏森駅付近に松並木名残の松が数本残っていたようですが、それも開発により完全消滅してしまったようです。 かつての松並木を偲ぶかのように、烏森駅高架付近に松が2本植えられていました。

烏森駅付近  松並木跡

烏森駅高架から少し歩いたところに、かつて柳街道との追分がありました。 『尾張志』によると、柳街道は名古屋城築城の際に開発された街道だそうで、名古屋西南部から名古屋中心部に向かう街道として利用されたそうです。 かつて佐屋街道と柳街道の追分に置かれていた道標は近所の神社へと移設され、登楼の台座として利用されています。 道標には「左 なごや道」と刻まれていました。

道標

柳街道との追分を過ぎ、ひたすら直線道路を西へ向かうと、かつて岩塚宿があった場所になります。 岩塚宿は「万場の渡し」を控えた宿場町として栄えていました。現在では主要道から少し離れてしまい、かつての賑わいは見られません。

岩塚宿町並み

岩塚宿にある八幡社には珍しい茅葺き屋根の社殿があると聞いていたが、現地に行ってみると社殿の屋根は板で覆われていた(左下の写真)。 板の下は茅葺きになっているのだろうか?
八幡社の南にある遍慶寺(右下の写真)は、かつて岩塚城があった場所だそうです。 尾張守護・斯波氏に仕えた吉田氏の居城でしたが、現在では城の遺構は全く見られず、石碑のみが残っています。

八幡社  遍慶寺

岩塚宿を抜けると、街道は突き当たりに差し掛かります。かつて、ここには渡し場がありました。「万場の渡し」と呼ばれ、ここから庄内川を船で渡っていました。

登り坂  万場の渡し跡


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