【佐屋街道1日目】 :東海道追分〜金山総合駅(2.6km)

1.宮宿  (現在の愛知県名古屋市熱田区)


宮宿は東海道五十三次41番目の宿場町で、熱田神宮の門前町として、 また宮の渡し(七里の渡し)を控えた立地条件から、東海道屈指の宿場町として栄えました。 宮宿の宿場内に東海道と佐屋街道・美濃路の追分(分岐点)があります。 下の写真で、丁字路を左に進むと東海道、右に進むと佐屋街道・美濃路になります。
追分には道標が立っており、以下の文字が刻まれています。
(東面) 北 さやつしま みのち道
(西面) 東 江戸かいとう、北 なこやきそ道
(北面) 南 京いせ七里の渡し道、是より北あつた御本社弐丁
この道標は1790年の設置当時そのままのものだそうでです。

東海道追分  追分道標

北に向かって佐屋街道を歩き始めます。遥か前方に見えるのは熱田神宮の森になります。 きっと昔はこのまま真っ直ぐ熱田神宮まで歩けたのでしょうが、現在では国道1号に分断されてしまっています。近くの歩道橋へ迂回します。

国道1号

佐屋街道の旅を始めるにあたり、まずは熱田神宮に立ち寄らなくてはいけないでしょう。
熱田神宮は約1900年の歴史を持つ由緒ある神社です。三種の神器の一つである“草薙剣”が保管されているとされています。 また信長が桶狭間の戦いに出陣する際に必勝祈願した事でも知られ、その先勝祈願として奉納された築地塀(通称:信長塀)が残っています。

熱田神宮

熱田神宮に参拝した後、佐屋街道を歩き始めます。現在では国道19号となっています。
熱田神宮の西には「源頼朝誕生地」があります。熱田大宮司・藤原季範の娘が源義朝に嫁ぎ、身籠もって実家のあるこの地で源頼朝を生んだといわれています。

源頼朝生誕地

国道19号を北上すると、白鳥町という地名になります。日本武尊が死後に白鳥となってこの地に舞い降りたという伝説が残っています。
白鳥古墳は6世紀初めに造られた前方後円墳で、日本武尊の墓だという伝説もあります。 白鳥古墳のすぐ隣にある法持寺は大相撲美保ヶ関部屋の宿所として利用され、境内には横綱北の湖の碑があります。

白鳥古墳  北の湖の碑

白鳥古墳の少し北には断夫山古墳があります。白鳥古墳と同じ6世紀初めに造られた前方後円墳で、周囲には堀が巡らされています。 全長151mという規模の大きさから、地元の有力豪族尾張氏のお墓だと考えられています。

断夫山古墳

国道19号をさらに北上します。国道19号起点から2km地点付近に「熱田神宮第一神門址」の碑が立っています。 かつて、ここに熱田神宮一ノ鳥居があったそうです。

熱田神宮第一神門址  記念碑

新尾頭橋交差点付近に妙安寺があります。このお寺は少し高台にあり、 かつて境内から眺める西南方面の景色は名古屋三景に挙げられ、多くの文人墨客が訪れたそうです。 現在では開発が進み、かつての絶景は見る影もなくなりました。 境内には「此のうみに草鞋すてん笠しぐれ」という松尾芭蕉の句碑があります。句碑の台座が亀という珍しいものです。

句碑  かつての景勝地

金山総合駅の南西に佐屋街道と美濃路の追分(分岐点)があります。 分岐点には文政4年(1821年)に佐屋の旅籠の人々によって建てられた道標があります。 佐屋街道道標には以下のように刻まれています。
(東面) 右 なこや木曽海道
(南面) 左 さや海道つしま道
(西面) 右 宮海道 左なこや道

美濃路
美濃路は東海道宮宿と中山道垂井宿を結ぶ脇街道で、現在の東海道新幹線と同じようなルートをたどっていました。 江戸→東海道→美濃路→中山道→京というルートは東海道の難所・鈴鹿峠、 さらに中山道の難所・木曽路や碓氷峠を避ける楽なルートとしてよく利用されたそうです。

街道沿いの景色は都市化されてビル群となっていますが、歩道の所々には右下のようなプレートが埋め込まれており、 ここがかつて佐屋街道であったことを知らせてくれます。

追分道標  佐屋街道

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