【東海道53次・京方面10日目のつづき】 :水口城南駅〜石部駅(12.6km)

W12.石部宿  (現在の滋賀県湖南市石部)


東海道53次石部宿の浮世絵  (広重『東海道五拾三次之内 石部』より)

横田橋を渡り、湖南市に入ります。
東海道はJR草津線に沿った道筋となっています。JR草津線はお昼時には30分に1本しか電車がないのですが、なぜかしら車両も駅も結構立派な物となっています。

草津線

途中でトンネルを2回潜ります。実は、このトンネルの上は川になっています。 このように周囲の土地よりも川床が高くなっている川のことを天井川といい、水口宿から草津宿までの間には、天井川を時々見かけることとなります。 左下の写真は大沙川の下に掘られたトンネルですが、このトンネルの上には「弘法杉」と呼ばれる巨木(右下の写真)が立っています。

弘法杉
推定樹齢約750年で、高さ26m、周囲6mの大杉。 弘法大師がこの地に立ち寄り、食事をした後に杉箸を土にさしておいたら、その後、その箸が芽を出して成長し、巨大な杉の木になったとの伝説もある。 もともと2本あったが、片方は洪水や大風で折れてしまったと伝えられている。


天井川  弘法杉

水口宿でもベンガラ塗りの赤壁の民家をよく見かけたのですが、石部宿周辺でも良く見かけます。 ベンガラは顔料の一種で、木材の腐敗防止効果があるそうで、近江八幡市周辺ではこの様なベンガラ塗の建物をよく見かけます。 きれいに手入れされた菊の花を玄関先に飾っている家をよく見かけたのが特徴的でした。

紅殻塗り  紅殻塗り

軒先に杉玉が吊された建物が見えてきました。1805年(文化2年)創業の蔵元・北島酒造です。 人が次々に入っていくので、つられて入ってみると、試飲会の様子でした。

北島酒造  蔵開き

落合川を渡ったら、石部宿になります。
江戸時代には、「京立ち、石部泊まり」と言われ、 京都から江戸や伊勢神宮に向かう旅人は、早朝に京都を出発して、その日の内に石部宿まで歩いて最初の宿泊をするのが通常の行程だったそうです。 江戸時代の旅人は30〜40km/日歩いていたそうなので、信じられない強靱さです。

宿場入口  宿場看板

石部宿に入ると、所々に古い建物を見かけることができます。 現在では静かな町並みになっていますが、江戸時代の頃には、きっと、京都から歩いてた旅人や、その旅人を自分の旅籠に泊めようと客引きをする店員で賑わっていたのでしょう。

宿場町並み  宿場町並み

宿場内を散策していると、「いしべ宿駅」の看板を出した建物がありました。 格子戸には「石部宿夢街道」と大きく書かれた紙が貼られています。何だろう?と思って中をのぞいてみたら、無料休憩所のようです。 立派なトイレも完備。室内には囲炉裏や宿場関係の書籍、展示物がありました。ここでちょっと休憩させていただきました。

休憩所  囲炉裏

石部宿には本陣が2軒あったそうですが、すでに建物はなく、石碑のみが残されています。 左下の写真は石部宿小島本陣跡の記念碑です。案内板によると、江戸時代には豪壮鮮麗な建物が建っていたそうですが、老朽化のため昭和43年に取り壊されたそうです。 比較的近年まで残っていたのに、勿体ない。
広重『東海道五十三次之内石部』には田楽茶屋が描かれています。 近年になって、浮世絵に描かれた建物とそっくりな田楽茶屋が石部宿内に再建されました。茶屋では、江戸時代と同じように軽食が出されているようです。

本陣跡  茶屋

田楽茶屋の前で直角に右折したら、石部宿もそろそろ終盤です。宿場の端であった京見附(西の見附)は、現在では公園になってしまっています。 ちょうど京見附近くにあるJR石部駅前に、いかにも見附のような門があったので、その前で記念撮影。 宿場の出入口にはこのような門があり、出入りする人を取り締まっていました。

京見附  近江富士

石部宿京見附を過ぎると、正面には大きな山が頭だけ見えてきました。黄砂で霞んでしまっていますが、近江富士(三上山)ではないでしょうか。時間はまだお昼の2時。 この日、当初の目的地はJR手原駅で、まだまだ歩きたい気持ちはあるのですが、横田橋通過あたりから体力の限界に達していたため、若干12kmで途中リタイアです。

【東海道53次・京方面11日目】 :石部駅〜南草津駅(11.5km)

冬が迫った11月下旬。この日は、石部宿のはずれにあるJR石部駅前から歩き出します。
歩き出しすぐの場所にあるポケットパークには、東海道五十三次のオブジェと再現された松並木があります。 歩き旅をしない父親は、ポケットパークを見学した後、車で周辺の見学へと出かけます。

石部宿ポケットパーク

しばらくの間、JR草津線の線路に沿って歩きます。
民家もほとんどなく、街灯もない寂しい道で、暗い夜に一人で歩くには少し勇気が必要な道です。

草津線沿い

次第に民家が増えてきました。この辺りは江戸時代に「間の宿」であった六地蔵村です。ちょうど石部宿と草津宿の中間に位置し、旅人の休憩場所として利用されました。 ここでも、街道沿いにはベンガラ塗りの建物をよく見かけます。

蔵  紅殻格子戸

民家の玄関には、その家が江戸時代にやっていた家業の看板が掲げられています。茶屋旅籠、指物屋、両替商などなど。色々な職業があったんですね。

茶屋  指物屋  両替商

一際大きくて立派な建物が見えてきました。他の民家とは明らかに違う豪華な建物です。 江戸時代に漢方薬「和中散」の販売元として繁栄した、和中散本舗「ぜさいや」の建物(大角家邸宅)になります。

大角家邸宅

軒下には「本家・ぜさい」の看板。屋根は荘厳な造りとなっていて、かつての繁栄振りを伺わせます。

看板  屋根

六地蔵村を過ぎ、映画のセットのような町並みを抜けていきます。

歴史的町並み

目の前には高い堤防。ここで直角に右折すれば、目的地の草津宿はもうすぐ。

ここ右折


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