【東海道53次・京方面9日目】 :近江土山バス停〜水口城南駅(12.5km)

W11.水口宿  (現在の滋賀県甲賀市水口町)


東海道53次水口宿の浮世絵  (広重『東海道五拾三次之内 水口』より)

大野西交差点を過ぎると水口町に入ります。道路の脇には「水口宿」と書かれた柱が立っています。

水口宿の看板

そのまま野洲川沿いの県道を歩くかと思いきや、すぐに細い脇道に入ります。
途中には復元された今在家一里塚があります。 もともと一里塚は旅人が距離の目安とするために一里(約4km)おきに設置された物ですが、木陰を作り出すため、旅人が疲れを癒す場としても使用されたそうです。 この日はここまで随分長い距離を歩いてきたので、僕も一里塚に腰を下ろして一休みさせていただきました。

ここ右折  一里塚

正面には小高い丘が見えてきました。かつて、この山の上には豊臣秀吉の五奉行であった長束正家の居城・水口岡山城がありました。 しかし、長束正家は関ヶ原の戦いで西軍に参加したため、城は東軍に攻められて落城してしまいました。そのため、現在では「古城山」と呼ばれているそうです。
かつてこの辺りには松並木があったそうですが、現在では消失してしまいました。かつての街道の様子を残そうと、新しい松が道沿いに植えられています。

水口岡山城址

細い川に架かる山川橋を渡ると水口宿になります。
宿場町の入口には東見付が復元されています。東見付のすぐ隣には水口宿の観光案内板があったので、ここで道筋や名所をチェックしてから水口宿内に入っていきます。

東見附  案内板

水口宿に入ると、左下の写真のような大きな倉庫をよく見かけます。この倉庫は曳山蔵と呼ばれ、倉庫の中には山車が入っています。 水口は宿場町である上に城下町でもあったために非常に町人に活力があり、このような立派な山車を沢山使った祭りが作り出されたそうです。 現在でも毎年春に曳山祭が行われるそうです。

曳山蔵  祭り広告

こちらは本陣跡です。奥に何かあるようなので細い道に入っていったら水口宿本陣の碑と明治天皇記念碑があっただけでした。

本陣跡""  記念碑

分岐路にやってきました。江戸時代、ここには高札場が設けられており、近年まで「札の辻」と呼ばれていました。 現在では、かつてのような高札場が復元されています。 ちなみに掲げられている高札には「定 水口より土山迄之駄賃并人足賃銭 荷物壱駄 百弐捨七文(以下略)」と書いてあったので、 運賃を定めた法律じゃないかと思います。

札の辻  高札

分岐路にある案内板には「三筋の町」と書かれています。文字通り、東海道は水口宿内で三本の道に分岐してしているようです。 案内板に一番太く書かれていた真ん中の道に進むことにしました。

三筋の町

水口宿は現在の水口の中心地から少し外れたところにあるためか、宿場町を歩いていると古い建物を沢山見ることができます。

宿場町並み  宿場町並み

水口宿は宿場町であるとともに城下町でもありました。 これまで歩いてきた道をそのまま直進するとお城のすぐ前に出るのですが、東海道はお城の近くを通らないようにぐるっと遠回りしなくてはいけません。

道案内

今回は水口城に立ち寄ることにしました。3代将軍徳川家光が上洛する際の宿館として築かれたのが水口城の始まりです。 その後は、水口藩加藤氏の居城として利用されました。 明治時代になると水口城は民間に売却され、石垣の一部が近江鉄道の敷石になるなどして城は取り壊されてしまいましたが、 近年、文化財としての保存活動が高まり、矢倉などが復元されました。

水口城址の画像

【東海道53次・京方面10日目】 :水口城南駅〜石部駅(12.6km)

記録的猛暑の夏が過ぎ、秋も深まりつつある11月、ようやく約6か月ぶりに東海道の旅を再開です。
この日は、水口城を出発し、横田の渡し場を経て、石部宿へと向かいます。

石部宿への道は、ほとんど地図が不要なくらい、ほぼ真っ直ぐの道となっています。
街道沿いには、旅の守り神である道祖神をたくさん見かけることができます。
どの道祖神もお花や飲み物が備えられており、丁寧に扱われていました。
中には、用水路にはみ出して、宙に浮いた感じの道祖神もありました。

道祖神  道祖神  道祖神

柏木公民館の前を通ると、火の見櫓のモニュメントがありました。

モニュメント

写真を撮影しようと近づいてみると、側面には「このふたを開けて中をご覧ください」を書かれた張り紙が。 何だろう、と思って扉を開けてみると、中には人形があり、ゆっくり回転し始めました。 広重『東海道五十三次之内 水口』の副題は『名物干瓢』で、かつて水口の名物であった干瓢(かんぴょう)を作っている女性を描いています。 この人形は、その浮世絵に描かれた風景をイメージしたものらしいです。 この写真には写っていませんが、のぞき窓から見えにくいところに、広重をモデルにした人形も座っていました。

櫓中身  櫓中身  櫓中身

一路、「横田の渡し場」を目指します。
途中には、部分的に再現された松並木や、再現された一里塚(右下の写真)もあります。 この泉一里塚は、江戸から数えて114番目の一里塚になります。1里=約4kmなので、計算上は、江戸日本橋から450kmちょっとの距離になります。

松並木  一里塚

野洲川の川岸にある横田の渡し場に到着です。
横田の渡し場は、野洲川と支流の杣川が合流する場所場所にあり、流れが激しく、難所としても知られました。 また、東海道を使って京都から江戸方面へ向かう場合に必ず通らなければならない場所で、軍事上とても重要な意味をもっていました。 そのため、江戸時代には幕府の管轄下に置かれていました。

渡し場には、文政5年(1822年)に建立された常夜灯が現存しています。 旅人の目印になるように設置された高さ10.5mもある常夜灯で、火を灯す部分(火袋)は大人が通れるくらい大きく、近くで見ると存在感に圧倒されます。

横田の渡し場  常夜灯

現在では横田の渡しは廃止されて、近くにかかる横田橋を歩いて、対岸にある石部宿へと向かいます。

横田の渡し場  横田橋


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