【東海道53次・京方面8日目のつづき】 :伊勢坂下バス停〜近江土山バス停(9.5km)

W10.土山宿  (現在の滋賀県甲賀市土山町)


東海道53次土山宿の浮世絵  (広重『東海道五拾三次之内 土山』より)

道の駅「あいの土山」でお昼ご飯を食べてから、東海道の旅を再開。
宿場町の入口に大きな案内板があったので、ここで見所をチェック。そばにあった「土山宿」と刻まれた石碑の前で記念撮影を済ましてから宿場町の散策へと繰り出します。

案内図  記念碑


あいの土山
土山宿は、何故か「あいの土山」とよばれます。鈴鹿馬子唄にも「坂は、照る照る鈴鹿は、曇る あいの土山雨が降る」と謡われています。 「あいの土山」とよばれる理由には下のように諸説があるのですが、明確には分かっていないようです。
○相の土山説:鈴鹿峠を三重県坂下宿と相対する土山宿
○間の宿説:宿駅制度ができ、土山が本宿に設定される前は、間宿(あいのしゅく)であった。
これから諸説が増えることもあるようです。

ちなみに、「あいの土山雨が降る」と謡われ、広重『東海道五十三次 土山』も副題が『春之雨』となっており雨の中を進む大名行列が描かれているため、 土山宿=雨のイメージがあるのですが、実際の土山宿はそれほど雨の多い地域ではないそうです。
(一部は道の駅「あいの土山」ホームページより抜粋、一部略)


地蔵堂を発見。そういえば、鈴鹿峠を越えてから、随分をあちこちで地蔵堂を見かけるようになりました。 また、近くには見逃してしまいそうなくらい小さな道標もありました。最近作られたような真新しい道標です。 「従是 右・京都へ十五里、左・江戸へ百十里」と刻まれています。 1里=約4kmなので、目指す京都三条大橋までは約60kmということになります。 まだまだ京都までは遠そうです。

地蔵堂  道標

土山宿は古い建物がよく保存されており、歩いていても宿場町の趣がとても良く感じられます。

町並み  町並み

来見橋を渡ります。小さな橋なのですが、橋の外観は昔風になっており、宿場町にマッチしています。 橋の壁には土山宿に関係した絵が描かれており、往時の土山宿の様子をうかがい知ることができます。

欄干の絵  欄干の絵

土山宿を歩いていると、明治の文豪・森鴎外に関する碑を所々で見かけます。 森鴎外の祖父は石見国津和野藩の藩医で、参勤交代に随行して江戸に向かったのですが、途中で発病し、土山宿で亡くなりました。 森鴎外は祖父の墓参りのため明治33年に土山宿を訪れており、その際には旅籠・平野屋に宿泊したそうです。

旅籠平野屋

宿場町の途中に、「東海道伝馬館」という建物があります。
車で先回りしていた父親が「無料で見学できるから見ていったら」と言うので入ってみました。

東海道伝馬館

門をくぐるとお役人がお出迎え。
建物は3階建てになっており、1〜3階とも展示スペースとなっています。 1階は土山宿に関する物が展示されています。2〜3階に上がると、東海道五十三次全ての宿場町の名物のサンプルが置かれていたり、 広重『東海道五十三次』に描かれている景色の模型が置かれていたりと、とても楽しめる場所になっていました。

伝馬館庭  伝馬館内部

宿場町の名物コーナーでは、土山宿の名物として「蟹が坂飴」が展示されていました(左下の写真)。
また、浮世絵の模型は、とても上手に出来ていました(右下の写真)。

蟹が坂飴
鈴鹿峠と土山宿の間にある“蟹が坂”にはかつて巨大な蟹の妖怪が出没して人々を困らしていました。 この話を聞いた僧侶は妖怪退治に出掛けます。僧侶が蟹の妖怪に対してお経を唱えると、蟹の甲羅が8個に裂けて妖怪は消えていきました。 僧侶がこの妖怪の血で作ったのが「蟹が坂飴」といわれています。麦芽糖で作った鼈甲色の飴で、その形は蟹の甲羅を模しているともいわれています。 田村神社の参拝客や旅人の土産物として喜ばれたそうです。


蟹が坂飴  土山宿模型

東海道伝馬館の隣には、問屋宅跡(左下の写真)や土山宿本陣跡(右下の写真)が並んでいます。 どちらも大きくて立派な建物です。土山宿本陣跡には江戸時代の宿泊帳簿などの貴重な資料が保存されており、予約をすれば見学できるそうです。

問屋宅跡  土山宿本陣跡

【東海道53次・京方面9日目】 :近江土山バス停〜水口城南駅(12.5km)

京都方面9日目は土山宿の途中から歩き始めます。
土山宿を抜けると国道1号に出ます。この交差点の近くには、御代参街道起点の道標が立っています。 案内板によると、御代参街道は、東海道土山宿と中山道愛知川宿を結ぶ脇往還として利用された街道だそうです。 右側の道標には、「右、北国たが街道、ひの、はちまんみち」と刻まれています。 そういえば、中山道を歩いていたときに近江鉄道五箇荘駅付近に東海道土山宿への道標があったことを思い出しました。
(参考)⇒中山道側の起点道標

御代参街道
御代参街道は東海道土山宿のこの地点から笹尾峠を越え、鎌掛、八日市を経て、中山道愛知川宿手前の小幡までの十里余りの脇往還である。
この道は中世においても重要な間道であったが、正式な脇往還として整備されたのは17世紀のことである。 寛永17年(1640年)、三代将軍家光の乳母の春日局が将軍の名代として多賀大社へ参拝し、 この道を通って伊勢神宮へ参拝された際に、この道は整備拡張されたといわれている。 江戸時代には、皇族が毎年伊勢神宮と多賀大社へ名代を派遣する習わしがあり、 京から伊勢神宮へ詣で、帰路土山宿から多賀大社へはこの道が利用されたことから御代参街道と呼ばれるようになった。

本来の東海道は国道1号を横切り、反対側にある細い道へと入っていき、さらにその先にある野洲川を渡るのですが、 情報によると、この道は野洲川の河原で行き止まりになっているそうです。仕方なく国道1号を歩くこととします。

道標  本当は右折

野洲川に架かる白川橋を渡ります。下の写真がかつて渡し場があった辺りになります。 水量が少なかったら徒歩で渡ってみようかとも思っていたのですが、どうも無理そうでした。

野洲川

しばらく国道1号を歩いてから細い道へと入り、東海道に復帰します。 地図を見るとこの道が東海道であったことは一目瞭然なのですが、土山宿から歩いてくるとなかなかこの道の存在に気付きにくいようです。 国道1号との分岐点には道標があり、「伊勢大路(別名阿須汲道)」と刻まれています。 江戸時代まではこの細い道が東海道として利用されていたのですが、明治13年に道が整備されて、ルート変更したそうです。

旧道  地図

旧道らしい細い道を歩きます。途中には今では珍しくなった茅葺き屋根の建物があります。

茅葺き屋根

土山宿の西側には松並木があります。松は小さくて区間も短いのですが、桑名宿〜京都の間には松並木が少ないので貴重な存在です。 この松並木も何年か経ったら立派な松並木になるのでしょう。

松並木  松並木

松並木を抜け、かつて立場があったという旧大野村や旧徳原村を過ぎると国道1号に合流します。大野西交差点には大きな石灯籠があります。
ここで土山宿に別れを告げて、次なる水口宿へと進みます。

石灯籠


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