【東海道53次・京方面8日目】 :伊勢坂下バス停〜近江土山バス停(9.5km)

W9.鈴鹿峠越え  (現在の三重県と滋賀県の県境)


右足肉離れから約2か月。自宅近所の里山を登るなど充分リハビリを積んだ上で、東海道の難所・鈴鹿峠越えに挑みます。 坂下宿から見ると、遥か前方には結構高い山々が連なっていて、少々不安を感じます。
天気予報では三重県側は晴れ、滋賀県側は午後から曇りのち雨。
「坂は照る照る、鈴鹿は曇る、あいの土山雨が降る…」
果たして、この馬子唄のとおりの天気となるのだろうか?

鈴鹿峠遠望

国道1号に沿った旧道を歩きます。山が迫るにつれて周囲の民家の数は急激に減少していきますが、まだ道の傾斜自体はほぼ平坦で、峠越えとは思えない感じです。
岩屋観音を過ぎて国道1号との分岐点で右側の細い道に入ります。片山神社の石碑が立っているので、それが東海道筋の目印になります。 この辺りの地名は「古町」といい、元々坂下宿はこの辺りにあったのですが、 江戸時代初期の1650年に発生した大洪水により宿場町が壊滅してしまったため、現在の地に坂下宿が移設されたそうです。

直進  右へ

国道1号と分かれると、森へと入っていきます。
しばらく歩くと「片山神社」の鳥居があります。

片山神社
由来が古代に遡る延喜式内社で、鎌倉時代には現在の場所に鎮座したと伝えられます。 また、齋王群行の際に皇女が休泊した「鈴鹿頓宮」の跡ともいわれています。 1999年に本殿などを焼失し、現在は神楽殿のみとなりました。高い石垣などにかつての面影を残しています。(亀山市教育委員会資料より抜粋)

本殿が焼失したとは聞いていたのですが、いちおう現在どういう状態なのか見てみようと、鳥居をくぐって急な階段を上り、 本殿があった場所まで行ってみましたが、やっぱり草が生えているだけの空き地でした。
片山神社鳥居の前でリュックを降ろして一休み。あとで気がついたのですが、 どうやらこの時に地図を置き忘れてきたようで、以後のルートは記憶頼みでの旅になってしまいました。

峠入口  片山神社

片山神社を過ぎてから坂の傾斜が急にきつくなります。ここは灯籠が並んでいることから「灯籠坂」と呼ばれていたそうです。 灯籠坂を過ぎると、最初はコンクリート舗装だった道が、石畳へと変化し、まさに難所「鈴鹿峠」を実感できます。 ただ、凸凹起伏が激しく、さらに苔生していて滑るために歩きにくかった箱根の石畳とは違って、非常に歩きやすい石畳です。

灯籠坂  石畳

石畳の区間を過ぎると、国道1号(名古屋方面)をくぐり、急な階段を上ります。

階段上る

階段を上ると平坦で開けた広場のような場所に出ますが、峠の頂上はまだ先で、再び階段を上ります。 ここには松尾芭蕉が詠んだ「ほっしんの 初にこゆる 鈴鹿山」の句碑があります。

また上る  さらに上る

階段は徐々に緩やかになり、やがて平地になったら案内板が立っており、鈴鹿峠の頂上になります。 江戸時代には「東の箱根峠、西の鈴鹿峠」といわれた難所ですが、鈴鹿峠の標高は378mと箱根峠に比べると遙かに低く、あっという間に峠の頂上に到着しました。

峠頂上間近  峠頂上

東海道から少し外れたところにある鈴鹿峠の名所「鏡岩」を見に行くことにしました。案内板の矢印にしたがって、道無き道を進みます。

鏡岩へ寄る

東海道から脇道に入って歩くこと約150m、鏡岩に到着です。

鏡岩
珪岩が断層によって擦られ、露出面が鏡のようにつやが出たものです。 昔、鈴鹿峠の山賊が、往来する旅人の姿をこの岩に映して危害を加えたので、「鬼の姿見」とよんだと伝えられています。 昭和11年、県天然記念物に指定されています。(亀山市教育委員会資料より抜粋)

鏡岩の名前の由来は上記の通りなのですが、実物は“鏡のよう”とはいきませんでした。 きっと磨けば“鏡のよう”な岩になるのでしょう。鏡岩の上に立つと、右下の写真のような景色を見ることができます。 ただし、鏡岩は高い場所にあるので結構危険です。

鏡岩  鏡岩からの眺望

東海道に戻り、歩き出します。しばらくの間は平地が続きます。
森の向こうに開けた土地が見えてきました。

森を出る

森の終点に、三重県・滋賀県の県境の碑がありました。
どうやら、近江国(現在の滋賀県)に突入したようです。

県境

近江国(滋賀県)に入った途端、それまでの薄暗い森の中から、新緑のきれいな茶畑へと東海道沿いの景色は変わります。 「坂は照る照る、鈴鹿は曇る、あいの土山雨が降る…」の馬子唄は、残念ながら大はずれ。
少し歩いたところには万人講常夜灯があります。高さ5m44cmもある大きな常夜灯です。 この常夜灯の周辺は公園のように整備されており、ベンチや立派なトイレもあったので、一休みさせていただきました。

茶畑  灯籠

東海道は国道1号に合流し、緩やかで長い坂を下っていきます。遥か前方には市街地が見えてきます。 もしかしたら琵琶湖が見えるかも…、と思って目を凝らして探してみたのですが、霞が強くて、遠くの景色はよく見えませんでした。

国道一号  土山が見える

国道1号を右に折れて、東海道は蟹ヶ坂地区に入ります。そのまま直進を続けると田村川に架かる「海道橋」に至ります。 もともと田村川は徒歩で渡っていたのですが、しばしば増水して旅人を悩ませていたため、1775年にこの海道橋が架けられました。 海道橋の手前には、架橋当時に掲示された橋の通行料についての高札が復元されています。 なお、安藤広重の『東海道五十三次之内 土山』は、この海道橋を渡る大名行列の様子を描いたとされているそうです。
海道橋を渡ると田村神社があります。鈴鹿の鬼を退治したとされる坂上田村麻呂を祀っています。

海道橋  道の駅

ここで、車で先回りしていた父親と落ち合い、「道の駅 あいの土山」で昼食を食べることととしました。


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