【東海道53次・京方面6日目のつづき】 :亀山駅〜関駅(5.7km)

W7.関宿  (現在の三重県亀山市関町)


東海道53次関宿の浮世絵  (広重『東海道五拾三次之内 関』より)

鈴鹿川に沿って堤防の上を歩いていきます。
前方を見ると、道は遥か彼方まで続いています。
鈴鹿下ろしの強風を真っ正面に受けたため、歩けど歩けどなかなか進みません。

鈴鹿川堤防

あっ、関宿の看板だ!
ようやく関宿に到着です。

関宿看板

お〜、映画のセットのような古い街並みです。
関宿は重要伝統的建造物保存地区に指定されており、天気さえ良ければ観光客が沢山いるはずなのですが、 この日は寒く、朝方まで雪がちらついていたためか観光客はほとんど皆無でした。
日陰には雪が残っています。寒い〜。。。
この日は、関宿を途中まで歩いて帰ることにしました。

町並み  町並み


【東海道53次・京方面7日目】 :関駅〜伊勢坂下バス停(6.3km)

春になり暖かくなった頃、ようやく約2か月ぶりに関宿に戻ってきました。
なまこ壁の蔵など、相変わらず古い町並みがよく保存されています。

なまこ壁

銀行の建物もこのとおり町並みにマッチした外観となっています。
看板が出ていなければ銀行とは気付きません。

銀行

民家の軒先には花が。そういえば、前回歩いたのは2月で、道端には雪が残っていたっけ。

町並み  町並み

左の建物は「眺関亭」といい無料で建物中に入れるようです。
せっかくなので2階に上ってみることにしました。

眺関亭

建物の2階から見た関宿の様子。「眺関亭」の名の通り、関宿が一望できます。
この景色は江戸時代からそれほど変わっていないのでしょう。

関宿の眺め

こちらは、「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と謡われた、関宿を代表する旅籠の一つであった「玉屋」です。 現在では旅籠の様子を伝える資料館として公開されています。

玉屋

こちらは、関宿での目的の一つである銘菓「関の戸」を販売している深川屋。
深川屋服部家は、もともと甲賀深川郷(現・滋賀県甲賀市甲南町深川)の出身であり、屋号の「深川屋」はそこからとっているそうです。 寛永年間に創業した由緒あるお店です。

深川屋

深川屋の軒下に掲げられた看板は、江戸側から見ると平仮名で『関の戸』、京都側から見ると漢字で『関能戸』の文字が書かれています。 これは庵看板とよばれる看板で、旅人が方向を間違えないようにする工夫だそうです。

江戸側  京都側
(江戸方面から見ると平仮名)   (京都方面から見ると漢字)

関の戸は餡を白い求肥皮で包み、その上を和三盆でまぶしたお饅頭です。関の戸の外観は、鈴鹿山脈に積もる白雪を擬えたとされています。 皇室にも納められたお菓子だけあって、上品な味でした。

関の戸

郵便局もこの通り江戸時代の町並みにマッチした外観になっています。
建物の前に置かれているポストは明治時代の形態の様です。
また、このあたりに高札場があったそうで、高札場が復元設置されていました。

郵便局

地蔵院が見えてきました。このあたりまで来たら関宿も3分の2歩いたこととなります。


地蔵院
「関の地蔵に振り袖着せて、奈良の大仏婿に取ろ」の俗謡で名高い関地蔵院。天平13年(741年)、行基菩薩の開創と伝えられています。 近郷の人々に加え、東海道を旅する人々の信仰を集め、現在でも多くの参拝客で賑わっています。(亀山市教育委員会の資料より抜粋)


地蔵院

下は関宿を代表する旅籠の一つであった「会津屋」です。
現在では食堂として営業してします。

会津屋

関宿を歩いていると、幾つかの建物の1階屋根ひさし部分に板が取り付けられていることに気が付きました。 この板は幕板といい、風雨から店先を守る霧除けの役割を持っているそうです。

幕板  幕板拡大

地蔵院を過ぎたら関宿新所となります。まだまだ古い町並みが続きます。

町並み

宿場町の西口はY字路になっており、街道の分岐点(追分)となっています。
設置されている道標には、下の方に「ひだりいかやまとみち」と刻まれています。
Y字路を左後方に進むと、伊賀上野、奈良に至る道となります。
東海道はこの追分を右方向へ国道1号に沿って進みます。

ここは右へ  道標

国道1号に沿って、次の宿場町となる坂下宿を目指します。

西の追分


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