【東海道53次・京方面4日目】 :近鉄泊駅〜加佐登駅(9.5km)

W4.石薬師宿  (現在の三重県鈴鹿市石薬師町)


東海道53次石薬師宿の浮世絵  (広重『東海道五拾三次之内 石薬師』より)

この日は母親との2人旅です。
JR泊駅から歩き出すと、まもなく鳥居が見えてきます。ここは伊勢神宮に向かう伊勢街道と東海道の分岐点となる日永追分になります。 鳥居は、江戸時代に江戸から京都に向かう人がここから伊勢神宮を拝めるように作られた物で、伊勢神宮の二の鳥居になります。

鳥居  日永追分

日永追分近くにあるお店では、江戸時代にこの地の名物だった追分饅頭が売られています。 正確には江戸時代に売られていた追分饅頭とは若干異なるそうですが、立ち寄って購入しました。昔ながらの酒饅頭です。

饅頭店  追分饅頭

追分饅頭を食べてエネルギーを充填したら、再び歩き出します。銀杏が黄色く色づいてきれいです。

銀杏

内部川を超えて歩いていたら、『うつべ町かど博物館』という看板を発見。
ちょうど中からおじさんが出てきて「よかったら寄ってかない?」と声を掛けられたので立ち寄ってみることに。 この地区は鬼瓦の産地だそうで、博物館内には鬼瓦やその製造道具が展示してありました。

鬼瓦  町かど博物館

博物館を出たら、ほどなくして急な登り坂となります。「杖衝坂」といわれる難所です。 杖突坂とも呼ばれ、日本武尊が東征の帰り道、杖をつきながらこの坂を登ったという逸話が名前の由来となっているそうです。 東海道の中でも屈指の急坂で、ちなみに日本武尊がこの坂を登って「足が三重に折れてしまったように疲れた」と言ったことが三重県の県名の由来となっているそうです。

杖衝坂  記念碑

坂の途中で、ふと振り返ると四日市の街が眼下に広がっていました。随分登ったんだな〜。

四日市遠望

やっと平地になって、歩くペースも回復。

秋桜

歩いていたら「とんてき」の大きな看板を発見。とんてきは四日市市の名物で、いわゆる御当地B級グルメというやつです。 四日市市を歩いた記念に、とんてきを食べてみることにしました。肉がとても分厚く、ニンニクも沢山入っていて、実に食べ応えがあります。 きっと若い学生さんなんかには大人気なんでしょうね。

豚テキ屋  豚テキ

お腹を満たして元気も回復。石薬師宿目指して再スタート。

歩き出す

ほどなく石薬師宿の看板が。
石薬師宿に入っていくと、お〜、格子窓の建物がいっぱいある。
しっかりと宿場町の古い雰囲気が残っているようです。

宿場碑  格子戸

ここが石薬師宿本陣跡になります。現在でも御当主が住んでおられるようです。

石薬師宿本陣跡

母親が何かを発見。
宿場内にはお屋敷が多く、恵比寿様や大黒様の像を門に飾っている家が何軒かありました。

屋根  屋根

橋を渡たります。橋の上からは国道1号、そして遙か彼方には鈴鹿市街地が見えます。

陸橋  国道

石薬師宿の名前の由来となった名刹・石薬師寺です。小さなお寺ですが、お庭が充実した立派なお寺です。

石薬師寺

母親が地図も見ずに勝手に先に進んで行きます。

母親「たぶん、東海道はこっちだね」
僕「ちがうような気が・・・」

しばらくすると母親が戻ってきました。行き止まりだったみたい。
東海道は右の登り坂を進むのが正解です。

ここは右

石薬師一里塚跡です。案内板には江戸時代の川柳が紹介してありました。

「くたびれた やつが見付ける 一里塚」

・・・うまいこと詠んだ句だ。

一里塚跡

田圃の中を歩いて、この日の目的地JR加佐登駅を目指します。
電車は1時間に1本しかないので、時計を気にしながらの急ぎ足。

田園を進む

なんとか電車に間に合い、無事帰ることが出来ました。帰りの電車の中では親子共々爆睡でした。


再発手術後、初めての自然排便
再発手術による後遺症で排便障害になり、下剤なしでは排便できない体になりました。 病院で最初に担当してくれた看護師さんが、術後は便を出すために歩かなくてはいけない、と教えてくれたので、 少しでも排便機能の改善に役立てばと思って、排便障害になった後もできるだけ歩いてきました。
この日は下剤を飲んでいなかったのですが、なんと石薬師一里塚を過ぎたあたりから便意を感じ出し、 JR加佐登駅のトイレで、術後初めての自然排便があったのです。 便が出るのがこんなに嬉しいとは、再発手術前には全く想像もつきませんでした。 この日以降も下剤なしでは排便できない状態なのですが、少しでも腸を動かすために努めて歩くようにしています。




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