【東海道53次・京方面2日目】 :桑名駅〜朝日駅(6.4km)

W2.桑名宿  (現在の三重県桑名市)


東海道53次桑名宿の浮世絵 (広重『東海道五拾三次之内 桑名』より)


西に向かう新たな旅のはじまり
七里の渡し場から西を目指して東海道歩き旅をスタート。 できれば京都まで歩きたいという気持ちもあるのですが、途中には難所の鈴鹿峠があります。 再手術を受けたために、また、使用している抗がん剤も強くなっているので、随分体力は落ちてしまっています。 果たして京都まで歩ける出来るだろうか。
とにかく先のことは考えないで歩き出します。



桑名は伊勢神宮参拝の東入口とされ、渡し場後には伊勢神宮一の鳥居があります。 左下の写真で右奥に見えるのが浮世絵にも描かれている桑名城の蟠龍櫓(復元)です。 櫓の屋根には、水を司る聖獣とされる龍が海を監視するように飾られています。

鳥居  桑名城

本来の東海道ではないのですが、しばらく堤防沿いに歩くことにしました。堤防からは大きな川が見えます。 手前が揖斐川、奥が長良川になります。その間にある仕切は治水のために築かれた堤です。

昔、この辺りは木曽川、長良川、揖斐川という3本の大河が複雑に交わり合う洪水多発地帯でした。 そこで江戸幕府は薩摩藩に三川分流の治水工事を命じました。遠く離れた薩摩藩に工事を命じたのは、薩摩藩の弱体化を狙ったためです。 難航の末に何とか堤を完成させることができたのですが、多数の犠牲者を出し、その責任を取って指揮官の薩摩藩士は切腹しました(宝暦治水事件)。 濃尾平野にとっては重要な出来事で、僕は小学校の時の授業で習い、堤(千本松原)を見に社会見学にも行きました。 切腹した薩摩藩士は義士として桑名宿近くの海蔵寺に祀られています。この地方に住む人間としては、是非立ち寄っておきたい場所です。

河口  海蔵寺

東海道に戻って歩いていると、春日神社の青銅大鳥居が見えてきます。ちょっと青み架かった立派な鳥居です。 青銅で出来ているということで、叩いたらカンカン音がするかと思ったのですが、コツコツとした固い音でした。 鳥居の左下にある石柱は「しるべいし(迷児石)」です(右下の写真)。 現在で言うところの尋ね人の掲示板の様なもので、尋ね人の情報を書いた紙をこの石柱に貼り付けて情報交換をしたそうです。

青銅大鳥居  しるべいし

桑名城の堀沿いに東海道を進みます。途中には東海道を模した「歴史を語る公園」があります。ご丁寧に富士山まで設置してありました。
堀には船が多数停泊していました。江戸の昔もこんな感じの、のどかな風景だったのだろうか。

歴史を語る公園  堀

桑名宿は桑名城の城下町でもあるので、東海道はあちこちで折れ曲がるという城下町特有の経路となっています。 地図を見ながら、看板を見ながら、そして道標を見ながら、道をよく確認して歩を進めます。特に京見附付近(左下の写真)は難解です。

地図  道標

一旦大通りに出ますが、すぐに右折して旧街道らしい細く静かな路地を進みます。 しばらく直進して突き当たった辺りが昔旅人の休憩場であった矢田立場になります。立場跡には火の見櫓が復元されています。 昔は火事が発生したらハシゴを登って鐘をカンカン鳴らして知らせたようです。

火の見櫓

矢田立場を左折したら、しばらくの間はずっと直進します。しだいに古い街並みになってきたら安永立場です。 安永立場は町屋川の船着き場でもあり、また旅人が休憩するのに利用されたようです。船着き場があった付近には常夜灯があります。

安永立場  常夜灯

この安永立場で旅人に提供された名物が「安永餅」と呼ばれる長いお饅頭。昔は安永餅を出す店が沢山あったそうです。 現在では桑名駅前に移転した柏屋さんが安永餅を販売しています。昔ながらの美味しいお饅頭です。

安永餅

町屋川に架かる橋を渡ります。前方には工場が、さらに遥か遠方には四日市のコンビナートを見ることができます。

コンビナート

東芝の三重工場を右手に見ながら東海道を進み、この日はJR朝日駅まで歩いて旅を終了。

東芝工場

ちょうどお昼時になったので、桑名駅に戻って、桑名名物の蛤を食べることにしました。
駅前にあるお店に入って注文したのは「はまぐりセット定食」。 時雨蛤茶漬、蛤汁、蛤フライ、そして有名な焼き蛤がそろって食べれる贅沢定食です。焼き蛤は初体験でしたが、とっても美味で満足でした。

蛤定食


トイレが赤く染まる!
自分としては長距離を歩いたつもりはなかったのですが、帰ってきたら真っ赤な血尿が。 どうも尿管にステントを入れて歩き旅をするのは体に負担があるみたい。 とりあえず泌尿器科でもらった止血剤を飲んで出血を抑えておきましたが、これから先も旅を続けるには、もっと体に配慮しなくては。



back home go