【姫街道5日目のつづき】 :天竜浜名湖鉄道三ヶ日駅〜遠州鉄道自動車学校前駅(12.6km)

5.市野宿  (現在の静岡県浜松市東区市野町)


落合橋を渡ったら、左手に小高い山があります。ここには、戦国時代に刑部城(おさかべじょう)がありました。 この地に住む人が城柵を築き、徳川家康と戦ったそうです。 城址には金山神社となっていますが、現在でも堀切や犬走りなど刑部城の名残が見ることができます。
刑部城址の周囲をぐるっと時計回りに歩いた後(左下写真)、県道を横切り、細い道へと入っていきます。 少し歩くと、お堂Y字路となるので、右側の坂道(長坂)へと進みます(右下写真)。 坂道の入口には「この先行き止まり」と書いてありますが、歩行者は通行可です。 坂の入口には秋葉山常夜燈が建っています。ボロボロになっていたものを地元の人達の努力で近年復元修理されたそうです。

刑部城  Y字路

若干傾斜のきつい坂道を登ります。坂道は、最初は舗装路なのですが、途中から土道になります。 坂の途中には、服部小平太最期の地碑があります(左下写真の中央左)。 服部小平太は、織田信長の家臣だった人で、桶狭間の戦いの際に毛利新助と共に敵将・今川義元を討ち取りる手柄を立てました。 その後、服部小平太は、徳川家康の家臣となりこの土地に赴任しました。 元々今川領であったこの土地の人々の中には服部小平太に対して恨みを持つ者もおり、服部小平太はこの場所を通行中に何者かによって殺されたそうです。 長坂を登り切ると、右手に水道タンクがあります。 振り返って見ると、タンクの側面には「姫街道中」の文字と共にお姫様が描かれています。

長坂  タンク

少し歩くと、老ヶ谷(おいがや)一里塚跡があります。江戸日本橋から数えて68番目の一里塚になります。 少々疲れて小腹が空いたので、気賀宿で購入した味噌饅頭を食べて休憩をしました。 一里塚跡を過ぎたら、しばらく道沿いに歩きます。街道沿いには、みかん畑が続きます。

みかん

旧道と県道との合流地点には、竹藪があります。この場所は、江戸時代には処刑場でした。 街道沿いには、処刑された人の霊を慰めるために建てられた六地蔵があります(左下写真)。なお、写真は振り返って撮影したものです。 しばらく歩くと、松並木が始まります。約3kmも続く長い松並木で、街道情緒が感じながら歩くことができます。

六地蔵  松並木

約2.5km歩くと、東大山一里塚があります。南側(左下写真)と北側(右下写真)の両一里塚とも一里山バス停留所となっています。 南側一里塚には馬頭観音も建てられていました。 ちょうどベンチがあったので、ここで遅めの昼食をとることとしました。 なお、この周辺の地名は三方原で、武田信玄と徳川家康が戦った三方原の戦いの舞台となった場所になります。

一里塚南  一里塚北

しばらく県道をまっすぐ歩くと、車の交通量が増え、元追分交差点に差し掛かります。交差点にある建物には、お姫様の巨大壁画が描かれています。 姫街道は、この追分の先、東進して市野宿を経て東海道見附宿と至るルートと、南進して東海道浜松宿で東海道に合流した後に東進して見附宿に至るルートに分かれました。 江戸時代中期には、前者のルートが廃止されて、後者のルートが正式な姫街道となりました。 今回の歩き旅では、前者ルートを歩くため、東へと進みます。

追分  壁画

元追分交差点を東進(直進)すると、追分一里塚跡があります。 三方原大地の長い坂(二重坂)を下った後に、左の脇道へと入ると、 そこには「左 きが かなさし」「右 庄内道」と刻まれた道標があります。 姫街道では現存最古の道標となります。 かなさし(金指)は、落合の渡し場よりも都田川上流にある地域になります。 金指周辺の都田川は、落合の渡し場よりも川幅が狭く、川渡りが容易であったため、姫街道の迂回路として利用されました。 旧道らしい静かな道を歩くと下り坂となり、坂道からは幸運にも富士山を見ることが出来ました。


本陣前公園  鰻丼

【姫街道6日目】 :遠州鉄道自動車学校前駅〜JR天竜川駅(5.5km)

この日は、姫街道歩き最終日(のはずだった・・・)。東海道との合流地点である見附宿まで歩ききるぞと、気合いを入れて歩き出します。 歩き出してすぐ、大養禅院の門前には立派な屋根瓦の秋葉山常夜燈があります。 しばらくは県道沿いに歩きます。少し歩くと右側に小池一里塚跡の石碑があります。日本橋から数えて65番目の一里塚になります。 また、県道沿いには製パン工場があり、姫街道までパンの香りが漂ってきます。 やがて磐田(旧見附宿)方面と浜北・天竜川駅方面との交差点に差し掛かります。 この交差点は市野宿西口にあたり、道路標識を見てわかるように、現在でも枡形の道筋となっています。 姫街道は、左折後すぐに右折して磐田方面へと歩きます。

大養禅院  枡形

前述の通り、市野宿は姫街道の宿場町でしたが、江戸時代中期には気賀宿から浜松宿を経由して見附宿へ向かう道筋が公式な姫街道となりました。 そのため、通行量の減った市野宿は衰退し、現在では宿場町の面影を見ることはほとんどできません。 ただし宿場町であった名残として、現在でも「東宿」「中宿」などの小字地名が残っているそうです。

市野宿  市野宿碑

市野宿の東側枡形を過ぎると、姫街道は二手に分かれます。 一つめは南進して安間追分で東海道に合流してから天竜川を渡って見附宿に向かうルートで、 二つめは東進して天竜川を渡って見附宿に向かうルートです。 後者は池田道とも呼ばれ、前者のルートよりも近道になりました。 今回は後者の池田道を歩くこととします。 かつて池田道との分岐点には、「右 奥山半僧坊 気賀金指 道」「左 池田橋新□道 見付中泉近道」と刻まれた道標が建っていたそうです。 現在は池田道との分岐点には目印はありませんが、下石田北交差点手前にある押しボタン式信号の交差点で左折して池田道へと入っていきます。 道幅の細い、旧街道らしい雰囲気となっています。

池田道追分  池田道

池田道を直進すると倉庫群に突き当たります。これより東の池田道は、土地改良によって消失してしまいました。 仕方がないので、道なりに歩きます。浜松市東区役所の南側の道を東進すると、池田橋跡の碑があります。 江戸時代には池田の渡し場から天竜川を船で渡っていましたが、明治時代になると木製の池田橋が架けられました。 堤防を上ると、眼下には天竜川が流れています。

倉庫群  天竜川

河原まで歩いていき、記念撮影をしようとカメラを三脚を設定中に、突然強風が。 三脚と共に倒れて地面に打ち付けられたカメラは無惨にも動作不能に。 予定では本日で姫街道終点の見附宿に到着するはずだったのですが、カメラが無くては折角の旅の思い出を残せません。 ゴールを目前にしがら、泣く泣く帰宅することとしました。


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