【東海道53次・江戸方面37日目(最終日)のつづき】 :新馬場駅〜東京駅(8.7km)

E42.日本橋  (現在の東京都中央区日本橋)


江戸日本橋の浮世絵  (広重『東海道五拾三次之内 日本橋』より)

品川駅を過ぎてしばらく歩くと泉岳寺があります。
泉岳寺は『忠臣蔵』で有名な赤穂藩主・浅野内匠頭と、大石内蔵助を初めとする赤穂浪士が葬られているお寺です。 品川宿から日本橋に至る道は、都市化のために古い町並みや遺産がほとんど無く、泉岳寺は数少ない観光スポットとなります。

左へ

泉岳寺は、東海道から少し入った場所にあります。
お寺の前にはお土産屋さんが軒を連ねています。

泉岳寺参道

境内に入ると、おじさん達が「今日は浅野内匠頭の命日だよ」と説明してくれました。
約300年前の今日(旧暦ですが)、江戸城本丸御殿松之大廊下で浅野内匠頭が吉良上野介を斬りつけて、即日切腹処分となったそうです。 偶然この日に訪問したのですが、どことなく運命的なものを感じます。

境内

大石内蔵助のお墓には多くの人がお線香を供えていました。歴女ブームのせいか、中には若い女性もいました。 昔から赤穂浪士のお墓には絶えることなくお線香が供えられてきたそうで、そのためかお線香の煙で石が黒くなっていました

供養碑  供養碑

高輪大木戸跡です。
かつてはここに門が築かれ、江戸の出入口とされたそうです。
石垣の高さは3.6mもあり、当時は立派な門だったことが窺えます。


高輪大木戸跡
高輪大木戸は、江戸時代中期の宝永七年(1710)に柴口門に建てられたのが起源である。享保九年(1724)に現在地に移された。 江戸の南の入口として、道幅約六間(約10m)の旧東海道の両側に石垣を築き夜は閉めて通行止めとし、治安の維持と交通規制の機能を持っていた。 京登り、東下り、伊勢参りの旅人の送迎もここで行われ、付近に茶屋などもあって、当時は品川宿に至る海岸の景色も良く月見の名所でもあった。(案内板より抜粋)


高輪大木戸跡

高札場があった付近からは東京タワーがよく見えます。
やっぱり東京タワーを見ると、「東京に来たな〜」という気がします。

東京タワー

道路標識を見上げたら、日本橋まで残り3km。
長い旅路も、もうすぐ終わりだ。何だか少し寂しい気がする。

あと3km

銀座に突入です。休日の銀座は歩行者天国となっており、多くの人で賑わっていました。

銀座  銀座

銀座のシンボル的存在の時計台。よくテレビで見る光景です。

時計

京橋跡です。京橋は、京都に向かう旅人が日本橋を出発して最初に渡る橋でした。
現在では川が埋め立てられてしまったので、橋の跡だけ残されています。

京橋跡  記念碑

「日本橋まで残り1km」。これが最後の距離表示だ。ちゃんと撮影しておかなくては。

あと1km

日本橋が見えてきました。あとは横断歩道を渡るだけ。
なんだかゴールするのが勿体ないような気も。。。

もうすぐ日本橋

日本橋に到着です。 \(^-^)/バンザーイ
名古屋を出発してから37日かけての東海道:東編(宮宿〜日本橋)踏破です。
先に中山道、木曽街道を使って京都〜宮宿を歩いているので、合計55日をかけて京都〜日本橋を踏破したことになります。実に長い旅でした。

日本橋

日本橋の袂で、伴走していただいた「にこにこさん」とゴールの握手。

ゴールの握手

道行く人にもゴールを祝福していただけました。

祝福

名古屋〜東京は新幹線に乗れば2時間もかからずに移動できる距離なのです。
でも歩けばすごく膨大な時間と労力を必要としました。
でも、その分、かけがえのない思い出を得られた気がします。

日本国道路元標

ゴールは新たな旅の始まりでもあります。
さあ、次は東海道:西編(宮宿〜京都)の旅へ出掛けるとするか。

次の目標へスタート

→ 東海道:西編(宮宿〜京都)へと続く


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