【東海道53次・江戸方面34日目のつづき】 :東戸塚駅〜神奈川駅(9.1km)

E39.神奈川宿  (現在の神奈川県横浜市神奈川区)


東海道53次神奈川宿の浮世絵  (広重『東海道五拾三次之内 神奈川』より)

神奈川宿は横浜駅の少し北側一帯に設置された宿場町です。
もともとはごく平凡な宿場町だったのですが、幕末にすぐ近くの横浜港が開港されて以降、突然として重要な宿場町へと変貌しました。 開港後、宿場内では外国人が殺傷されるという事件が数々起こったため、宿場町の東西に関門・番所を設けて、警備体制を強化したそうです。 関門跡には石碑が設けられています(左下の写真)。
また広重『東海道五拾三次之内 神奈川』では神奈川宿のすぐ近くに海が見えますが、開港以降、海は次々と埋め立てられ、現在では海は遥か遠く見えなくなりました(右下の写真)。 こんなに景色が変わった宿場町も珍しいと思います。浮世絵に描かれている旅籠「さくらや」は、現在でも料亭「田中家」として引き継がれています。 ちなみに、坂本龍馬の妻おりょうは、龍馬の死後、勝海舟の紹介により、この田中家で働いていたと伝えられています。

田中家
神奈川宿が賑わった当時から続く唯一の料亭が、文久3年(1863年)創業の田中家です。 田中家の前身の旅籠「さくらや」は安藤広重の「東海道五十三次」にも描かれた由緒正しき店名です。高杉晋作やハリスなども訪れました。
(田中家前の案内板より)


関門跡  さくらや

神奈川宿は、横浜港に近かったこともあり、幕末には諸外国の関連施設があちこちに設置されました。 本覚寺はアメリカ領事館として使用されたお寺です。本覚寺は神奈川宿を見渡せる高台に建ち、幕末には海も見える絶好の立地条件だったようです。

本覚寺

【東海道53次・江戸方面35日目】 :神奈川駅〜川崎駅(10.0km)

横浜で一泊し、翌日改めて神奈川宿の途中からスタートです。 これまでは東海道は国道1号とほぼ一致したルートとなっていましたが、神奈川宿から日本橋までは国道15号がほぼかつての東海道となります。 道路標識を見たら「東京29km」。徐々にではありますがゴールが近づいています。うれしいような、少し寂しいような、複雑な気分。

あと29km

神奈川宿は横浜駅にほど近いこともあり、宿場町の雰囲気を残すような遺構はなかなか見ることができません。 ただ、一部区間には松並木や高札場が再現されています。大都市の中でこの様な光景に出会えると、東海道ウォーカーとしてはとても嬉しいです。

松並木  高札場

神奈川宿を出て、国道15号に沿って東海道を歩いていくと、江戸時代に生麦村とよばれていた地域になります。 幕末に薩摩藩主・島津久光の行列の前を横切ったイギリス人を薩摩藩士が無礼討ちした、有名な生麦事件が起きた場所です。 事件が起こった場所には、肩を切り落とされたような特徴的な記念碑が設置されています(左下の写真)。

生麦事件碑

東海道はここで脇道へと右折し、キリンビールの工場の脇を進みます。
大きな工場が並び、昔の生麦村(右下の写真)とはすっかり景色が変わっていました。

現在の生麦  江戸時代の生麦

鶴見駅周辺は、神奈川宿と川崎宿の中間地点にあたり、旅人が休憩をする茶屋で賑わいました。 鶴見駅周辺を歩いていると、茶屋跡の記念碑の他にも東海道分間延絵図などが設置されており、あちこちで東海道の名残を感じます。

鶴見駅前  分間延絵図

幕末の横浜開港に伴い、邦人と外国人とのトラブルを防ぐため、あちこちに関門が設置され、警備が強化されました。 鶴見橋にも関門が設置され、橋を渡る人を取り締まっていました。 幕末にはここに黒塗りの門が設置されていたのですが、現在の鶴見川橋は真っ白でお洒落なデザインの橋となっています。

鶴見川橋

鶴見川橋を渡るともうすぐ川崎宿です。


back home go