【東海道53次・江戸方面13日目のつづき】 :浜松駅〜磐田駅(12.7km)

E14.見附宿  (現在の静岡県磐田市)


東海道53次見附宿の浮世絵  (広重『東海道五拾三次之内 見附』より)

天竜川は昔は流れが激しく、東海道の難所でした。
現在では立派な橋が架けられ、歩いて渡ることができます。それにしても風が強く、橋を渡っているときは体が吹き飛ばされそうでした。

天竜川を渡っているときに嬉しい驚きが2個ありました。
1個目は江戸日本橋まで250kmを切ったことです。 名古屋から歩き始めて、ちょっとずつ進んで来たのですが、ようやく残り250kmになりました。随分歩いたものです。
それと、2個目の驚き。橋を渡りながら、ぼぉ〜と景色を見ていたら、台形の山を発見。そう2個目は富士山が初めて見えたのです。 非常に天気が良いときには浜名湖付近からでも富士山を見ることができるのですが、あいにく僕は今回の旅ではこれまで富士山を見ることができませんでした。 ちなみに次なる見附宿(みつけしゅく)の見附とは、「西から歩いてきた旅人が最初に富士山を見付ける宿場町」という意味があるそうです。 その名の通り、僕も遥か遠くに富士山を拝むことができました。

あと250km  富士山

水膨れで痛む足を引きずりながら歩いていると、遠くにビル群が見えてきます。これはJR磐田駅前の商店街です。 磐田市はJリーグのジュビロ磐田の本拠地だけあって、マンホールにもジュビロのキャラクターが描かれていました。

下り道  マンホール

見附宿は現在のJR磐田駅よりちょっと離れた場所にあります。この日は足も痛いし、JR磐田駅まで歩いて終了としました。 この後、2週間くらいは水膨れのせいでまともに歩けませんでした。


【東海道53次・江戸方面14日目】 :磐田駅〜袋井駅(12.1km)

この日はJR磐田駅より旅を再開です。
駅から真っ直ぐ北へ歩いていくと、見附宿になります。

東海道の脇道である姫街道は、御油宿の東側で東海道と分岐し、浜名湖の北側を陸伝いに進んできました。 その姫街道は、ここ見附宿で東海道に再合流します。右下の写真は姫街道を東から見た景色です。東海道の脇道であったためか、現在でも細い道のような気がします。

姫街道碑  姫街道

見附宿本陣はもう消失していますが、脇本陣の門のみ見ることがでます。平成19年に移築復元されたそうで、僕が旅をするちょっと前にここに設置されたようです。 ラッキー。また、すぐ脇には東海道を旅する人のための無料休憩所「いこい茶屋」がありました。

脇本陣門  茶屋

見附小学校は1875年に作られた現存する日本最古の洋風木材小学校校舎で、国の史跡に指定されています。 現在では小学校に関する資料館として公開されています。校舎の床はもちろん木でできていて、歩いているとミシミシ音を立てて、とても歴史を感じます。

見附小学校  教室

見附宿では江戸時代の建物を見ることはほとんどできませんが、その代わりに江戸時代風の建物を見ることができます。下の写真は学習塾とJAの建物です。 パッと見は江戸時代っぽく見えて、東海道を旅する人としてはこういうサービスは嬉しいです。

予備校  農協

見附宿の東端には見附の門のレプリカが設置されています。折角なので記念撮影しました。
見附宿をでたらY字路に差し掛かります。何となく道なりに太い道路を歩いていってしまったのですが、実際はY字路を左の細い道に入らなくてはなりません。 途中で気が付いて慌てて戻って正しい道へと進みました。

江戸見附  左へ

このあたりから街道沿いのあちこちにお茶畑を見ることができるようになります。お茶畑を見ると、静岡県だなぁ〜とついつい思ってしまいます。

茶畑

しばらく進むとだんだん回りの民家は少なくなり、行く手には林が見えてきます。しかも途中から舗装道路ではなくなり砂利道になります。 やばそうな道だ。薄暗く、獣でも出てきそうな感じでちょっと怖いので、身構えながら進みます。

森へ

このあたりは古代から道が何回も付け替えられた場所で、鎌倉時代、江戸時代、明治時代、大正時代、平成と複数の時代の道が残っている珍しい場所です。 東海道ウォーカーはどの道を進むのか好みが分かれるようです。 東海道ウォーカーなので江戸時代のルートを選択する人が一番多いようですが、僕は鎌倉時代のルートを選択しました。鎌倉時代の道は竹藪の中を抜ける土の道です。

説明板  鎌倉道

竹藪を抜けてしばらくすると鎌倉、江戸、明治、大正の道が合流し、次なる袋井宿へと進みます。

松並木


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