【東海道53次・江戸方面9日目】 :国府駅〜豊橋駅(11.0km)

この日は名鉄国府駅から出発。
駅を出たときは空はどんよりとした曇り空で雨もポツポツ降ってきたため、今日は歩くのを止めようかどうしようかと悩みながら、とりあえず出発。

鉄道にかかる高架橋を渡ったら、国道1号からそれて右側の脇道に入ります。

右へ

脇道に入ってしばらく歩くと、昔風の家を所々に見かけるようになります。
この辺りは伊奈立場だった場所です。立場(たてば)とは、宿場町の間に設置された休憩所みたいなもので、お茶屋が立ち並んでいたそうです。 現在でも「茶屋」という地名が残っているそうです。
右下の写真は伊奈村立場茶屋加藤家跡(俗称:茶屋本陣跡)の記念碑です。東京遷都の際に、明治天皇がここで休憩をされたそうです。

伊奈立場  茶屋本陣

このあたりまで来ると雲の切れ間から太陽が顔を出してくれるようになりました。ホッと一安心。

豊川放水路にかかる高橋という名前の橋を渡ります。このあたりは信号がないから車が猛スピードで走り抜けていきます。 橋には歩道が無く、しかも手すりは凄く低いので歩いて渡るのはかなり怖いです。 車の風圧で体がよろめいたら川に真っ逆さまになりそうだ、と怯えながら、足早に高橋を渡ります。

高橋

途中、「瓜郷遺跡⇒」とかれた看板を見かけたので、何となく矢印の方向に歩いていったら、復元された竪穴式住居がありました。 弥生時代〜古墳時代前期(約2000〜1700年前)の遺跡だそうです。
江戸時代の東海道を歩いているのに、偶然とはいえ弥生時代の遺跡を見れるとはラッキーでした。

瓜郷遺跡  箱


E8.吉田宿  (現在の愛知県豊橋市)


東海道53次吉田宿の浮世絵  (広重『東海道五拾三次之内 吉田』より)

吉田宿は現在では豊橋市となっています。これは豊川にかかる豊橋(とよはし)という橋の名に由来しています。 広重『東海道五拾三次之内 吉田』にも豊橋が描かれています。現在でも豊橋は健在です。この豊橋を渡ると吉田宿になります。

とよはし

【東海道53次・江戸方面10日目】 :豊橋駅〜二川駅(9.2km)

左下の写真は吉田宿本陣跡です。豊橋市は現在では愛知県東部の中心都市ですが、江戸時代から東海道の大きな宿場町としてとても栄えていたようです。

本陣

ところで、吉田宿は吉田城の城下町も兼ねています。そのため岡崎宿と同様に道があちこちで折れ曲がっています。 しかし、右下のような方向指示板が全ての曲がり角に設置されているので道に迷うこともなく安心して歩けます。

道筋  看板

防衛上の問題からか、吉田城は東海道から少し離れたところにあります。しかし、折角なので吉田城に寄り道してみることにしました。
吉田城は現在では公園・運動場として開放されているそうなので、実はあんまり期待せずに吉田城に行ってみたのですが、 実際に行ってみると石垣や堀がきちんと残っており、立派な作りであったことがうかがえます。 東海道ウォーカーでここに立ち寄る人は多くはないようですが、意外に穴場スポットだと思いました。

吉田城  城内

吉田城を満喫したら東海道に戻って歩き出します。
看板の指示通りにあちこち折れ曲がって歩くと東惣門(左下の写真)に至ります。これは吉田宿の出入口に当たる門だそうです。 朝6時〜夜10時までは門は開いていたのですが、それ以外の時間は門は閉じられ一般の人は通行できないようになっていたそうです。ここを抜けると吉田宿は終了です。

東惣門  路面電車

豊橋には路面電車が走っています。全国各地の路面電車が経営難から廃止される中、貴重な存在です。路面電車を眺めつつ、次なる二川宿へと向かいます。
吉田宿から二川宿へは山をぐるっと回って歩きます。街道脇にはこの様な小さな松が植えられています。きっと松並木を復興中なのでしょう。 松はまだ僕の膝くらいの高さしかないのですが、数十年後には御油のような立派な松並木になっているでしょう。

松並木

火打坂とよばれる坂を下ります。それまで山で視界が遮られていたのですが、急に視野が開けて、眼下に町が広がります。 坂を下り終わると東海道の道標があって、ここが昔東海道だったということがうかがえます。

  道標

この日は二川駅まで歩いて終了。

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