長い旅のはじまり
2006年4月、僕は30歳にして大腸がんになり、手術を受けました。
告知を受けて、病院のベットに横たわりながら、今後の余生をどう過ごそうかと考えました。 そのうち、「できれば体が動く内に歩き旅をしたいな〜。」と思うようになりました。闘病生活を送りながらの歩き旅。 当然苦難が多いことと思います。しかし、その代わり得られる感動があるはず。 そんな気持ちで、2007年7月某日早朝、僕は名古屋市から江戸日本橋を目指して歩き出したのです。



【東海道53次・江戸方面1日目】 :宮の渡し公園〜有松駅(11.8km)

ここは名古屋市熱田区にある宮の渡し公園です。
江戸時代に東海道で京都方面へ旅をする人は、ここから船に乗り、桑名宿(現在の三重県桑名市)まで海路で旅をしていました。 海路は七里あったので、俗に七里の渡しと呼ばれていました。
かつて渡し場として賑わったこの場所から、東海道を江戸方面に歩き出します。

常夜灯  宮野渡し公園


E1.宮宿  (現在の愛知県名古屋市熱田区)


東海道53次宮宿の浮世絵 (広重『東海道五拾三次之内 宮』より)

宮宿は熱田神宮の門前町として栄えた宿場町です。
また、七里の渡しを控えた宿場町として、さらに佐屋街道や美濃路との分岐点として大いに賑わいました。
 →(参考)佐屋街道編へ

折角なので、旅の始めに熱田神宮にお参りに行くことにしました。

どうか良い旅になりますように。

神宮鳥居  神宮拝殿

お参りを済ましたら東海道へ戻って、東を目指して歩き出します。
「旧東海道」と書かれた門が出迎えてくれます。
商店街を抜けたら、こんもりと盛り土された上に木が植えられた一里塚を目にすることができます。
一里塚とは江戸時代に旅人の目安となるように一里(約4km)ごとに木が植えられたものです。
明治時代以降、一里塚は次々と取り壊されてしまったのですが、現在でも幾つか昔のまま残っているものがあります。 この一里塚は残念ながら復元されたものですが、立派な姿をしています。


伝馬町  一里塚

江戸時代の東海道は、現在では主に国道1号へと変化しています。
都市圏だけあって、国道1号は凄い交通量で、排気ガスでいっぱいです。

街道沿いの風景は江戸時代と大きく変わっており、この交差点には昔は川が流れていたそうです。
交差点の袂には橋のレプリカが作られて、昔の姿を今に伝えています。

交差点   橋のレプリカ

住宅街を抜け、名鉄本線の踏切を渡ると笠寺観音があります。
僕が訪れた日はちょうど縁日の日で、大勢の人で賑わっていました。

笠寺観音を過ぎるとすぐに笠寺一里塚(右下の写真)。これは江戸時代から残っている貴重な一里塚です。

笠寺観音  一里塚

以前、この前を通り過ぎたことがあるのですが、当時は街道歩きに全く興味がなかったので、 木の下に立っている「一里塚」の看板を見てもサッパリ何のことか分からずに通り過ぎていました。
今になって、この大木が貴重な遺産であることに気が付きました。
昔の旅人は一里塚の大木の木陰で一休みして旅の疲れを癒したそうです。
笠寺一里塚の下にはベンチが設けられており、僕も腰掛けてちょっと休ませてもらいました。


一里塚の下で抗がん剤を
 この頃は経口抗がん剤による治療を行っていました。この頃に使用していた抗がん剤は、1日2回、朝夕食後に飲むことになっていました。 この日は笠寺一里塚の下で抗がん剤を飲みました。僕の場合、この抗がん剤によって起こる副作用は、吐き気、倦怠感、口内炎、爪の異常など。 これから先は、抗がん剤を持参しながらの旅路となります。


天白川を渡り、名古屋市の住宅地区である緑区を抜けると、次なる宿場町の鳴海宿です。


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