タロット王国:「トート・タロット」の解説


時空を超える扉

《タロットの霊・HRU フル》

 

情 景


 四重にからみつく、葡萄のつるの輪を「神の救済の糸」として、復活の神・ディオニュソスが再生してくる。彼はレルネーの沼底〔死者の世界〕から、死の恐怖に閉ざされた人々を救済するため、この日常世界へ復活してくる。日常世界の心理構造を表わす「恐怖」は、 “虎”として彼の足にかじりつくが、彼はそんなものは何一つものともしていない。  


 ディオニュソスは死を乗り越え、錬金術を行なうために生者の世界へ復活する。彼は両手に火と水とを高く掲 げ、この世界全体に錬金術を行なっている。彼の従者である“コンドル”は、この世界の腐肉を浄化すべく空中を旋回し、「魔法の杖」がディオニュソスのハートから生まれて、世界全体のヒーリングが始まる。そしてその先では、日常世界は“蝶”となって変容し、ディオニュソスによる新たな世界の創造活動が始まる。



解 説>


 「探求者」や「旅人」のイメージが多いフールのカードの中で、それを「創造者」のイメージに変えたのが、「トート・タロット」の独創性である。タロットを世界探求の物語としてではなく、新たな「世界創造の神話」として発見したのが、「トート・タロット」のタロット革命なのである。  


 世界は既に作られて「ある」。だからディオニュソスが行なう世界創造とは「無から有へ」の世界創造ではな く、「創造活動の次の次元への変容」である。  


 フールのカードが表わすように、「世界」は目映い光の下から“沼地”へと転落し、腐敗し、よどみ、混乱した世界になったが、ここではそれを総括して“虎”に象徴化している。“虎”は人間の「恐怖」と、それを完全に克服する「迷宮」の旅を表わす。「トート・タロット」では、この世の日常のありようが異世から転落している本質を、人間の「心理的恐怖」として捉えているのである。「恐怖」はディオニュソスのグリーンの上着にかじりついているが、人が「恐怖」から完全に自由な、異なる世界を創造することこそ、「魔術師のタロット」のテーマである。



●神と人間との間の存在


 「ディオニューソスとは、何者なのか?  

 恍惚と驚愕の神、激情と至福なる解放の神、その出現が人間を半狂乱へと追い込む狂気の神。既にしてこの神は受胎と生誕においてその本質の神秘性と矛盾性を告知している。  

 この神はゼウスと死すべき人間なる女との間に生まれた子であった。けれども女がこの子をなお生み落とすに先立ち、彼女は天界なる夫の雷電に打たれて燃えつきたのだ。」

  ——ワルター・F・オットー『ディオニューソス——神話と祭儀』より  


 キリストに先立つことおよそ六世紀、ディオニュソスは神と人間との間に誕生した。かつて神と人間との間に生まれたものはなかった。だから、ディオニュソスの誕生は新たな次元の世界創造であり、神の進展であり、人間の発展である。そして、ディオニュソスの出現が全く新しい世界創造であるためには、ディオニュソス的な存在が歴史の中で継続しなければならない。何故なら、神と人間との間の存在がディオニュソス一代で終わるなら、彼は単なる世界の変種であって、新たな神の世界創造ではない。そして事実ディオニュソス的な存在は、神の子にして人の子、イエス・キリストの出現へと継承されてゆくのである。

 いつであれ、世界神話に現われた人間を根源的な腐敗と恐怖から解放する者は、神と人間との「間」に生まれた存在である。



●仮面の神


 ディオニュソスは「仮面の神」である。世界の諸宗教やアニミズムには、おびただしい仮面の神像があるが、それらのどれよりも強烈に、どれよりも抜きん出て、ディオニュソスは「仮面の神」だと言われる。  


 「仮面」は神を表わす。人は仮面の前に畏怖する。仮面は神聖さに通じるのである。だから人は、仮面から目をそらすことが出来ない。日本の「能」は、人物の動きを最小限に押さえることによって、仮面が見る者に与える力を最大限に引き出そうとする。それは人間の日常を超えた異世に通じる。タロットのディオニュソスもまた、異世のエネルギーを日常へ引き出すことによって、人間を「小さき力」(日常生活)から解放させようとする。



●ぶどう酒の神、狂気の神


 ディオニュソスは狂気に満ちていた。決まりきった生活、無感覚な慣習、怠惰な日常を問答無用に破壊した。人間たちがあんなにも大切にした居心地のいい世界、キチンと整えられた世界、人畜無害な努力によって築き上げられた世界を、無限の歓喜、無限の狂気によって木っ端みじんに粉砕した。  


 ディオニュソスの到来には、音楽、舞踏、預言が渦巻き、ぶどう酒が溢れる。彼と共に太古の世界が歩み出てきて、存在の深みが姿を現わす。人は自らの狂気に目覚め、世界の何もかもが変貌する。  


 ディオニュソスの狂気は、人間の狂気であり、人間の転落性である。そしてディオニュソスが人間を転落性から全面的に解放するためには、彼は人間の手によって殺されねばならない。



●死にゆく神


 人間の手によって殺されること。ディオニュソスの本質にある矛盾と対立は、人間自身が持つ本質的な矛盾と対立である。人間が日常の転落性の深みに全面的に気づくためには、ディオニュソスは人間によって殺されねばならないということ、それが絶対に必要である。


 人はディオニュソスの狂気が自らの狂気に他ならぬことに気づかず、「幼児として眠るディオニュソス」を殺害し、レルネーの沼へ捨てた。ディオニュソスは人間という存在を全面的に取り戻すため、奈落の冥府へ降りてゆ く。そしてやがて、ディオニュソスは復活する新しきディオニュソスとして、死をも支配するである。



● 雄牛の神(来臨する神)


 人間は自らの本質にある矛盾・対立から解放されるため、神によって殺されなければならない。そのため、ゼウス神と人間の母セメレーとの間に生まれたディオニュソスは、その誕生の際に、夫ゼウスの落雷によって母セメレーが殺される(それを描いたものが「#16.稲妻の塔」のカードである)。そしてその子ディオニュソスは、その母を取り戻し、人間そのものを救うため、人間の手によって殺され、奈落の底まで降りていかねばならない。  


 ディオニュソスは殺され、レルネーの沼底に身を沈めていた。それは彼が生を支配するだけではなく、死の国の支配者となるため、冥界へも降りていったことを意味する。  


 そのディオニュソスは、角を生やし、野牛の姿をして、とつじょ闇の中から踊り出てくる。彼は牡牛の突進によって復活し、顕現する。古代世界では、牡牛は生と死を支配する神聖な動物である。彼は生まれ変わり、「小さき力」(日常世界)の内に異世の創造的な力をもたらす、新しきディオニュソス(「#0.The Fool(フール)」)となったのである。  


 「タロットの霊・フル」は復活した栄光のディオニュソスであり、絶えず来臨する異世の力である。

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