道路標識
女子高生×変則ルール将棋。
法律を作るのは勝者
その将棋は、駒を一つ取るごとに新たなルールを加えることができる。
重視されるのは、将棋の腕ではなく、独創的な発想だ。





16:45

芝村灯子には、幾人かの親しい友人が居る。
筆頭が月島知夏で、彼女は一番の親友であり、恋人でもあるから、弓道部の当番が許す限りは部室にいることが多い。
続いて風又沙弥。風紀委員会副委員長のポストを悪用して、見回りと称してはやってくる。少々気の強いところはあるが、悪い人では無い。
漁火無月水上満月は、それぞれ心霊部、諜報部等と言う怪しげなサークルに所属している。 どちらも学園中の“情報”を管理する役目があるが、明確な違いは“操作”か“捜査”か、だと言う。

心霊部は元々、オカルト学を研究する小さなサークルだったが、5、6年前から一人の部長を“教祖”として奉るちょっとした宗教団体になった。よほどカリスマ性のある生徒がいたようで、その頃から入部者も急増し、今では200人近くもいると言う部員を使って、故意に噂を流したり、逆に定着した噂を廃れさせたりと言った活動をしているのだそうだ。
現在の教祖が誰あろう無月さんで、時折芝村さんもその人望を頼るときがある。
噂操作の依頼は有料だが、噂話は個人にとって不利な情報を含む場合も多いから、ビジネスとして十分成り立っているらしい。

諜報部はその名から想像できる通り、学園生徒のことであればどんなことでも調べ上げてしまうたいへん恐ろしいサークルだ。
しかし実際は“諜報”というものでもない、「片想いの相手の好みのタイプ」だとか「恋人が浮気をしているかどうか」だとか恋愛沙汰が殆どで、とは言えそれでも正確に調べてしまうと言う分には、やはり恐怖すべきである。

話は横道に逸れるが、浮気調査だけであれば探し物同好会でもよく引き受けていることだ。
ただ依頼の内容が微妙に違って、あっちは「浮気問題を知るか」、こっちは「浮気問題をどう処理するか」――を活動内容としている。
芝村さんと言えば園内じゃ凶暴で通っており、身のこなしは素早く、腕っ節もそこらの男子より余ッ程強い。つまりは浮気相手への制裁が、こちらには望まれているのだ。

横道に逸れたが――

――さて、もう一人いるな。

今日もまた来客が無く、芝村さんはひとり、詰め将棋に興じている。
食器も調度品も拭き掃除しきってしまった私は、とうとうやる事が無くなって、彼女の交友関係に思いを馳せていた。

柚木佳月
私が知る芝村さんの親友の一人で、科学部に所属し、漁火無月とは幼少からの付き合いだと聞く。
個性の強い人たちの中にあるせいか特別変わったことの無いようだが――二股に結い下ろした金色の髪に、赤縁の眼鏡、170cm近い長身に、胸部から腰辺りまでの潤沢で色気のある肉付き――科学部と言う環境で日々何かしらの実験や計算を繰り返す、言葉は悪いが地味な活動の中に於いては、彼女の外見は特異なものであるはずだ。
事実、小耳に挟んだところでは男子生徒からの評判は高いそうで、羨ましいことに告白を受けたことも少なくないと聞く。
しかし、だからと言って彼女に高慢な様子は見られない。
寧ろ性格はその対極であり、人懐っこくて笑顔は愛嬌がある。それでいて顔立ちはと言うと童のような幼さと、高貴な人形のような整いを併せ持っているから、第一印象はまずもって良い。

――そう、柚木さんは感じのいい人なのだ。

理数的な能力の高い反面、やや融通の利かないきらいはあるようだが、根が素直だから嫌われない。
時折計算を間違えたりする不完全さも、愛おしさを感じさせる。 もし私が男性であれば、かなりの高確率で惹かれてしまうだろう。
極めつけは白衣だ。 彼女はそれら女性的な魅力を、白衣を纏い、凛とした風体で覆い隠している……が、考えてしまうと身を包むには不十分なわけで、半端な遮蔽は寧ろいたずらに色気を増すだけの、不本意な役割しか果たしていないように思う。

――考えてみれば、普通ではないかもしれない。

と、思い至るのと同時に、私は頭を振っていた。
何を考えている、相手は同性ではないか。
心臓の辺りを押さえてみると、鼓動が早くなっているのが明確に判じられた。
頭はのぼせたように熱く、無意識のうちに息も上がっているようだった。

「猫かね、君は」

芝村さんの声だった。
視線は将棋盤から外していないが、私の焦燥はすっかり伝わってしまったようで、口元には悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

「良からぬ事でも考えていたかね」
「いえ、そんなことは――」
「良いのだよ」

盤上に、駒が置かれた。芝村さんはそれからゆっくりと此方を向き、再び――今度は私の目を確りと見つめたまま、微笑んだ。

「今日は知夏は遅番なんだ」
「あの、本当に、そういうつもりは」
「良いじゃないか、久しく君の体に触れていない」

椅子を離れた芝村さんは、たちまち私の頸元に手を回した。
こうなると抵抗する術が私には無く、いい加減どうにか手を打ちたいところなのだが、いっこうに良い対策が思い浮かばない。
考える間もなく唇は塞がれ、そのうえ今回は舌まで侵入してくるのだから、いっそう私の意識は混濁した。


16:56

扉の開く音がした。
慌てて身を離す芝村さんだったが、油断したものか全く間に合わず、結果私も痴態を晒す羽目になった。
「うわあ、ごめん」
来訪者は柚木佳月だった。顔を真っ赤にし、扉の辺りで前進と後退をせわしなく繰り返している。

「なんだ、佳月かい。良いよ、お上がりよ」
芝村さんが口許を押さえつつ入室を促すと、ようやく、それじゃあ――と、柚木さんは歩を進めた。

「灯子は、やっぱりその子に手をつけていたんだね」
ちらちらと私のほうを見ながら、柚木さんは遠慮がちに椅子に座った。
「……知夏じゃなくて良かったね」
「全くさ、あれに見られていたら、今頃私は膾になっていたところだよ!」
見ると、芝村さんも頬を紅潮させ、幾分動揺したらしい様子だ。平素手当たり次第に女性を口説いていても、さすがにラブシーンを傍から見られるのは苦手なのだ。
「ナマスねえ、知夏はいい子なんだから、灯子も一途になればいいのに」
「それにしたって、知夏ったら、神経質すぎるよ――ああ、赤坂くん」
「はっ、はいっ」
名を呼ばれ、慌てて紅茶の入ったポットを掴み取る。次いでカップを取る手が震えた。
「今日は? 何の用かね」
「いやぁ、特に無い。こっちの活動も行き詰ったから、来たのん」
そう言うと、柚木さんは背中を丸め、にこにこと笑った。
「散歩がてら来たようなもので――だけど、今度からは連絡してから来ないといけないね」
「気にしなくて良いよ、その、なんだ――それ以上は、ここではしないから」
言葉を選ぶように紡いだ芝村さんに対し、柚木さんはいっそうにこにこしながら、やだなあ、恥ずかしいよ――と手を眼前でばたつかせた。そして、
「真緒ちゃんはすっかり、灯子の毒に当てられちゃったんだねえ」
と、私を見ずに言った。


17:02

「ゆ、柚木さん、私はノーマルですよ」
「ノーマルは私だよ、君は灯子の求愛を拒んでいないんだから、その気ありじゃないのん」
顔をぺったりと机につけたまま、柚木さんはころん、と此方を振り向いた。 私はと言うとそれを見て、う――と二の句を継げぬまま、硬直した。
沈黙したのは柚木さんの言葉に心当たりがあるばかりでなく、同年代としてはやや大柄な体躯を、然程も感じさせない彼女の愛おしい仕草に、思わず――

――萌えてしまった、

からだった。
女生徒を誰でも彼でも口説きまわる芝村さんに心の中で節操を求めながら、これでは私もどう違うと言うのか。 私は自我の崩壊すら感じて、眩暈を覚えるのを禁じ得なかった。
「わ、私は拒めないんです、力が弱いからっ」
どうにか弁明するが、前へ向き直る柚木さんに、けたけたけた、とわざわざ声に出して笑われただけであった。
「佳月、私の後輩をあまりいじめないでおくれよ」
「ふふん、灯子が可愛がりすぎなのさ」
この子まで道を外したらどうする――と柚木さんが諭すと、
「そうだね、私が面倒を見ようか、赤坂くん」
すぐさま芝村さんが、いつもの笑顔で返すのだった。

――もうだめなのかしら。

「ところで佳月、将棋は解るかい」
再び思考の渦に飲まれるところだったが、将棋の駒がざらりと盤を滑る音を聞いて目が覚めた。
「おおう、渋いな」
「どうせ今日は客も無いだろうからね、1局打とうよ」
ぱちり、ぱちり、と駒が規定の配置に並べられ、その音に柚木さんも上体を起こした。

目の前で女子高生が2人、将棋盤を挟んでいる。
文化部ならではの、いや、文化部だからと言ってそうそうあるわけでも無い光景だろう。
芝村さんはクイズやトランプ、テーブルゲームと言った知的好奇心をくすぐる遊びを好み、この探し物同好会部室にも多くの遊具が置かれている。
彼女の友人がよく遊びに来る原因の一端もここにあり、特に――

「受けて立つよ、灯子、ハンデ無しのガチで行こう」

――理数系の人だからだろうか、柚木さんは冒頭に思い返したメンバーの中でも、頻繁に参加しているのだった。

「但しね、今日は普通の将棋じゃないんだ」
芝村さんは駒を並び終えると、歩をほぼ傾きなく整列させている途中の柚木さんに向けて、説明を開始した。
「元より私たちは、定石や打ち筋なんてものを語るほど、将棋には詳しくない。実はね、佳月――さっき、将棋の変則ルールをひとつ思いついたんだ」
そこで一呼吸置き、柚木さんが配置を終えるのを見計らって、長袖のワイシャツを腕まくりする。
「法律将棋――と言ってね」
「法律? 聞こうか」
「基本は普通の将棋と同じだ。ただ、駒をひとつ取るごとに、新たなルールをひとつ設けることが出来る」
「例えば?」
「“佳月の香車は、前に2マスまでしか移動できないものとする”」
香車かあ、使わないな――と柚木さんが笑う。
「それは、ええと、どの程度まで定義……じゃないね、“制定”が許されるの?」
「もちろん制限はしなくてはね。“私は駒を幾つも動かせる”などと言うのは良くない」
そうだね、これを“憲法”としよう――引き出しから紙とゲルインクペンを取り出すと、芝村さんは1枚の即席ルールブックをまとめた。




「赤坂くん、君は司法だ」
ルールを書き終えると、芝村さんはすぐに私に向けて説明した。
「――芝村さん、司法というのは」
「このゲームの進行役だよ。法を適用し、私たちの提案を裁定する、ルールブックにもある通り“ゲームマスター”だ」
「テーブルトークRPGのGMみたいだ」
近いね――柚木さんの例えに答えると、芝村さんはもう1枚、何も記入されていない罫線付きリフィルを私に手渡した。
「そして、書記だ。君は、私たちが提案する法律を、憲法と照らし合わせながら制定、逐一書き込んでもらう」
「ははあ――」
「面倒がることは無いよ。要するに、法律が無茶だと思ったら、そうと言えば良いだけのことさ」
「え、私の価値判断で、ですか?」
「そう、君の価値判断。ひいきは無しだよ、あくまで基本はルールブックだ」
ひいきは無し、と言う部分が妙に強調された。柚木さんが来てから私の心臓は鎮まらないが、もしかしたらそれを勘繰られているのかも知れない。 その気持ちを察したかのように、柚木さんが私に微笑みかけた。 私が慌てて視線を落とすと同時に――芝村さんは半透明の20面ダイスを引き出しから取り出し、彼女に転がすよう促した。


17:22

「閉校まで1時間半、まだゲームバランスも練られていないからね、ゆっくり行こう」
“17”を出し先行を務めることになった芝村さんは、まず角の道筋にある歩を進めた。




――7六歩。

先ほど芝村さん自身も言ったとおり、二人ともゲームそのものには乗り気であるものの、将棋が強いわけではないし、元より「将棋」で勝負をする気がない。 芝村さんを取り巻く仲間にとってボードゲームは、趣味どころか興味程度の範疇であり、それよりもゲームを介したコミュニケーションや、或いは発想の遊びを楽しむものなのだ。
だから――

「角交換だね、知ってる、こうやるんだよね」




戦略と言うものはない。

後手、柚木さんは3四歩。互いの角の道筋が拓けた事で、芝村さんは早速2二角で角を取った。
となると柚木さんは同銀で返すもので、角が互いの持ち駒になる。

――角交換、角換わりは、持ち駒として角を打ち込めることで、初中級者には自由度の高い戦法とされている。が、当然開始4手でただ交換すればよいわけではないのは、二人と同様将棋に詳しくない私でも何となく解っていた。
しかしこれは将棋ではなく「法律将棋」なのである。 定石や打ち筋よりも法律を創作するセンスが試される遊戯なのだから、寧ろ真っ当な将棋を打ったところでゲームの味は活かされない。
それよりも、この角交換に拠って、互いがひとつずつ法律を作る機会が与えられたことが重要なのであり、更に強気になるなら「法律将棋」にとっての角換わり戦法とは、この開始4手を意味するのである。

――と、ここまで彼女達が考えたかは定かではないが、ともあれ、早くも手の内を見せ合う時が訪れた。




場面は先手、2二角から。
「さて佳月、心の準備はいいね」
「よしこい」
「赤坂くんも」
「あ、えっ、はいっ」
呼びかけられ、慌ててルールブックに目を落とす。 法律が制定されるかは、憲法を元に私の手で決められる。このゲームのバランスは私の胸三寸にかかっているのだった。

佳月の歩は――」
佳月の歩は。その5文字を用紙に書き込み、述語を待つ。
歩は、“動けなくなる”とか。さすがに卑怯か。
意表をついて、2マス進むとかどうだろう。意外と不便かもしれない。
芝村さん自身も思いつきで言ったらしく、やや考え込む素振りを見せた。
次に、低く、落ち着いた声が発せられるまで、5秒ほど要した。

佳月の歩は――後ろに進む

「……歩なのに?」
「歩なのにさ、赤坂くん」
「えらい後ろ向きなんだね、私の歩は」
柚木さんは、相変わらずの人懐っこい表情で、からからと笑った。

「さて、じゃあ今の法案を審議します。ええと――」

1.一手につき、必ず駒を一つだけ動かさなければならない。
歩の動作は制限されたが、いますぐこれに抵触する範囲のものではない。

2.法律は二種類以上の駒に言及してはいけない。
法案が指しているのは歩のみだ。

3.法律は「相手の(は)〜」で始まらなければならない。
これも全く問題は無い。

「……どれにも抵触していない……と思います」
認可します、と宣言し、書きかけの一文に続きを記した。
「もちろん1マスずつだからね。2マスも下がる余地無いけど」
悪戯っぽく言う芝村さんに、解ってるよう――と後手が答え、2二銀が打たれる。これで角は交換された。




「よし、私の番だ」
何にしてやろうか、と柚木さんはいっそう、にやける。
対する芝村さんも柔らかい笑顔を浮かべ、彼女の判断に聞き入った。

「そうだねえ、例えば歩“以外”って言うのも、だめなんだよね?」
「――そうですね、憲法2条“二種類以上の駒への言及”に当たります…たぶん」
「いい判断だよ、赤坂くん」
だとすると――柚木さんは思案するように腕組みをし、数秒ののち、何か思いついたように身を屈めた。
「こうしよう。灯子が取った歩は、私の持ち駒になる
ずるいね、と芝村さんが笑う。これもまた、憲法には反していない。 意地悪を言えば、相手“が”と言う格助詞は明記されていないが、仮に「灯子“の”取った」と言い換えても意味が通じる以上は、却下の理由には至らない。
「認可します。ただ当然ながら、芝村さんが歩を取った場合、法律の制定及び棄却の権利は芝村さんにあります」
「いい調子だね、赤坂くん。乗っているじゃないか……」
「好きなんだねえ、そう言う役」
二人同時に視線を向けるものだから、一瞬法律を書き込む手が止まる。 芝村さんの笑顔にはいつも参っているが、さらに柚木さんもいては、どうやら今日のところは、私は“そういう人間”なんだと認めざるを得なくなる。


17:32

二十手目に至るまで、双方は明確な戦法などまるで考えず、思うように攻め合っていた。
五手目からは互いに持ち駒の角を出し合い、しかも再び角交換を目論むと言う、プロの棋師が見れば憤慨しそうな展開を見せたが、そこは法律将棋だけあって互いのセンスが見られた。

芝村さんの2つ目の法律は、 『佳月の銀は移動ルールが左に45度回転する』
普通銀将は、前方及び前後斜め方向に1マス移動できる。これが45度左回転したと言う事は、左斜め、前方、左、右、後ろに動く方向が制限されたということになって、

――ややこしいなあもう。

とにかく、1回目と同じ手立てでは角交換ができなくなったのである。 ただ、角の動線は全く変わっていないので、




結局桂馬に取られ、全く有効な戦略とは言えない結果となった。
ともかく2回目の角交換が行われ、4つ目の法律は柚木さんに託された。

「そうだねえ――ちょっと将棋のルールから離れてみるかな。ふふう、そうだな、灯子の金は100円で買収できるというのは良いんだろうか」
駄洒落だった。
しかし当然これも、憲法に反しない以上は認可するところである。
9手目以降はある程度まともな将棋らしい指し手の応酬がなされ、芝村さんは初手で進ませた歩を更に前に出し、飛車と桂馬の突出口とした。
対する柚木さんは、歩を前に出せないぶん攻めあぐねている様子を見せたものの、金将と桂馬を少しずつ前に出し、やや守備を兼任する方式を取った。




次いで相手の駒を取り、法案提出の権利を得たのは桂馬の動作の早かった柚木さんのほうだった。

「さて――」
次は何にしようか、と腕を組む彼女に、芝村さんが答える。
「ルール上は、既に制定された法律の棄却もできる。そろそろ歩が前に出てきても良いんじゃないかね?」
「確かに、このゲームは、勝手な法律でより盤面がめちゃくちゃになった方が面白いのね。いっそ、どんどん前に出て行ったほうが、良いのかもしれん」

今現在、柚木さんの歩を芝村さんが取った場合、その歩は柚木さんの持ち駒になるルールである。
そのまま件の 『佳月の歩は後ろに下がる』 が棄却された場合、歩が前に出てくるぶん取りやすくはなるが、芝村さんにとっては、法律は制定できても手駒の増えない、損な状態が続くことに変わりは無い。

しかし――その上で芝村さんが法律の棄却を勧めているということは、戦略上有利であることより、ゲームの面白さを重視したか――
或いは、手駒が増えなくても法律の制定ができるほうが得と見たか。
今後そのルールを棄却するにしても保持するにしても、仕留めるチャンスが増えるよう仕向けるのは有益だろう。

一方、柚木さんには別の問題があると思われた。
歩が前に出れないことは彼女にとっては決してマイナスで無く、逆に攻めあぐねている振りをすることで、駒を前線に出さずに済み、相手の駒を自陣に呼び込むことができる状態なのだ。
そうなると邪魔になるのは、 『佳月の歩は後ろに下がる』 ではなく、寧ろ自分の提出した 『灯子が取った歩は私の持ち駒になる』 と言う法律である。
このゲームが単なる娯楽、余興の体裁を取っている以上、持ち駒の打ち合いは在り得る事だ。となれば、相手の法律制定のチャンスを増やす半端な持ち駒など、持たないほうが良い。

「灯子、私は自分の法律を棄却するよ」

意図に感づいたか、芝村さんもぴくりと肩を動かした。


17:36

敵陣、3七に突っ込んだ桂馬は、すぐに芝村さんの桂馬に討ち取られた。
「じゃあ私は新しく制定させてもらうよ。佳月の香車は、横に動く――問題ないね? 赤坂くん」

芝村さんは、柚木さんが遊びの体裁を持ちつつも勝負を意識しだしたのを見取った。
相手玉将の横軸上にあることから、恐らくこの後、香車の買収を始める算段だ。既にある 『灯子の金は100円で買収できる』 に着想を得たものだろう。 一見、買収したところで銀将の防備があるから有効でないように見えるが、現在柚木さんの銀は移動ルールが変更されているのだ。後ろには下がれても、香車を直接取れる位置には居ない。

もちろんそれに気がつかない柚木さんでは無かった。2一銀と後退させ、法律の制定に備える。
芝村さんはしばらく駒の取り合いは無いと見たか、真正面から本陣を攻める準備を始め、対し、柚木さんは後の取り合いを想定し、歩を自陣に後退させていった。




三十一手目。先手、芝村さんの番だ。
ほとんど会話のないまま10手ほどが打たれ、尚も熟考の様子が見られた。

やや押してはいるが、玉にはまだ手が届かない。
盤面右上が空いているように見えるが、思いつきで制定した 『歩は後ろに下がる』 や、すぐに対処されてしまった 『香車は横に動く』 が、それぞれ毒となって返ってきている。
相手の駒を取るのは簡単だし、それによって動作の制限を与えることは可能だが、一度に複数の駒種を手玉に取ることはできないし、逆に自身の駒が相手に取られやすい位置にもある。

となれば――

目を瞑り、口元に人差し指をやり、何か思慮深げに呟いたかと思うと、ふいに彼女は声を上げた。

「そうだ、こうしよう」
打たれたのは、7三歩成だった。
「佳月!」
沈黙の鬱憤を晴らすように、柚木さんの名を威勢よく呼ぶと、彼女は背筋を伸ばし、正面をまっすぐ見据え、法案を宣言した。
「佳月、君は今後、私の駒を取るたびに一枚ずつ衣服を脱ぎたまえ!


17:43

柚木さんが来る前に感じていた甘美な想像が、私の意識を再び支配した。
まず白衣でひとつだ。
続いて、ブレザー、セーター……今日の柚木さんは厚着しているから、手数が多い。
盤面を見よう。取れる可能性のある駒は幾つかあるが、せいぜいまずは3ツと言ったところか。 ただ問題は、直後の乱戦で恐らくすぐに棄却されてしまうこと。勿体無い。

いや、白衣が除けられただけでも、白衣が持つ知的な印象をまず拭い去るだけでも、随分と印象が変わる。もしや彼女にとっては、制服は色気を無理やりに抑え付けるための拘束具なのではないか。もっと、開放的な姿でいれば――

「――赤坂くん」
何をぼうっとしている、と責められ、はっとしてルールブックに目を通す。
「赤坂くん、どうも今日の君は何か悪い病にやられたみたいだ。何か君の心を苛むことでもあったかね――」
「いえ、そんな事は」
「ふふ、良いのだよ、解っているのだ」
囁くと、芝村さんはいつもの笑顔で私を見やった。
魅力的で、挑発的な――いや、これはそう言った笑みとは違う。論理パズルを答えさせたあの印象とは異なる。もっと――悪魔らしい、心を見透かすような表情だ。
「な、なにが解ってるんですか」
「赤坂くん、君、佳月を好いているね?」
悪魔は確信を持って、私に質問した。すかさず柚木さんはいっそうの笑顔で、困ったように首をころころと揺り動かした。
「やだなあ、やっぱりそう言う趣味だったのか」
「ち、違います、そう言うんじゃなくて」
「ねえ赤坂くん、君は気づいていないだろうが、傍から見るに、君は少々感情が表に出やすい」
「そんなことは――」
私の法案を聞いて、喜んだように見えたよ――芝村さんの言葉を最後まで聞かないうちに、またも私は眩暈を感じていた。
「わ、解りました、いいです。それで良いですからゲームを続けましょう」
「認めるのか」
「そうじゃなくて」
「いいよ、続けたまえ」
続けたまえって――ああ、審議をしなければいけないのか。

何について?
佳月は、灯子の駒を取るたびに一枚ずつ衣服を脱ぐについて。

芝村さんの、大輪の花が蕾から開花したかのような笑顔。これは柚木さんにプレッシャーをかけ、且つ個人的趣味も満足させ、更に私を困らせる一石三鳥のアイディアを思いついたから出たものだろう。
――つまり私にとって、これは罠なのだ。
現状の流れでこの無茶な法案を通してしまうと、私は、私の欲望を認めてしまうことになる。
憲法は。

1.一手につき、必ず駒を一つだけ動かさなければならない。
2.法律は二種類以上の駒に言及してはいけない。
3.法律は「相手の(は)〜」で始まらなければならない。

抵触している。
第2条、二種類以上の駒への言及に当たる。“灯子の駒”では、あまりに広すぎる。

「だ、だめです。芝村さんの駒とは、二種類以上の駒を指します」
「異議ッ! 私の法案は全ての駒を、佳月の駒か私の駒かの二種類に分けたと言う前提で作られた文章であり、その内私の駒と言う一種類のみを指している以上、憲法に抵触しない!」
「き、詭弁じゃないですか」
「いや、確かに憲法の“種類”は、金とか歩とか、そう言う区分けの種類だって誰も定義していないね」
「何で柚木さんが弁護するんですか、脱がされたいんですか」
私が言うと彼女は、ああ、やっぱり――と言うような顔をして、芝村さんに微笑みかけた。
「解ったよ、赤坂くん。では私のと金、としよう。これなら心置きなく制定できるね?」
「はい――いや、違う」
制定してはいけないのだ。
きっと私は既に、顔をだらしなく真っ赤にしていただろう。
「いいかね赤坂くん、あまり無理をすると、私はいっそう、勘ぐるよ」
覆い隠せないほどの劣情を、悪魔はちくちくと突き刺してくる。

ただ、その一言にも一理あるようにも思えた。
腹式呼吸でゆっくり息を吐き出すと、意地になるほど墓穴を掘っている自分自身も見えてきた。
「真緒ちゃん、最初のルール通りにやれば良いんだよ」
柚木さんも言ってくれている。そうだ、憲法に抵触していないのであれば、制定する大義はあるのだ。私は空っぽになった肺にすうっと新鮮な空気を入れると、できるだけはっきりと宣言した。
「承認します」
声は室内によく響いた。そして少しだけ、沈黙があった。
芝村さんと柚木さんが、目配せして、やがて笑い出すのを見た。
「え?」
「いやね。赤坂くん。君もそう言う女だったんだな、と」
「真緒ちゃんも結局はそっち側の人かあ、と」
「い、いや、違います、違いますよ。なんでそんな、落胆してるんですか。ごく今まで通り、憲法と照らし合わせて、どれにも反していないから――」
「来たよ、憲法だって」
柚木さんは如何にも呆れた様子で小さく笑い、芝村さんに告げ口する。
「ああ、君はお上が白だと言えば黒も白なんだねえ、通常の天秤で考えれば、憲法の遵守と、か弱い女性の貞操と、どっちが大事か明白だろうに」
――ちょ、
「ちょっと待ってください、ルールが変わっていませんか?」
思わず立ち上がる。このままでは私は完全に「そっち側」にされてしまう。

「変わってはいませんよ」
ねえ――と二人は顔を見合わせる。仲が良い。
「いいかね、赤坂くん。ルールはこうだ。法律は、憲法に反しない範囲で作られる。と言う事は――法律は、憲法に反していなかったとしても――」
「制定されるとは……限らない……」
「そういう事だよ」
「いや、でも、それはそうですが、憲法に反していない法律を制定することそのものには、落ち目は――無いような、あるような……」
自信無くすなよ、と柚木さんのつっこみが入る。
「それにだ赤坂くん、君のその大義に落ち目が無くとも――」
ルールブックの一文が白く、細長い指で指された。
「ルールが健全に守られているか」
「健全じゃないね」
「脱衣将棋なんてね、全然健全じゃないです」
「ううっ」
「佳月、君は狙われているんだよ、彼女に」
「ふふ、真剣なら、少しはサービスしてやろうかとも――」

何だか、私自身もそんな気がしてきた。
見たかったんじゃないのか、柚木さんの、白衣の下の――

「い、いや違う。私はノーマルですって」
「怪しいところだ」
「怪しいよねえ」
「だ、大体柚木さん、あなたが拒めば良かった話じゃないですか。あなたこそ、一枚ずつ脱ぐって法律が制定されたら、脱いだんですか」
二人は相変わらず顔を見合わせて笑っている。何だか、頭に血が上ってきた。
「拒めば、健全なルールが守られたんです、このルール違反は柚木さんも共犯ですよ」
私としては精一杯の責任転嫁のつもりだったが、二人からは、そういえばねえ、正直どうでもいいなあ、どうでもいいよねえ――と気の無い返事しか返ってこなかった。


《未完》