つり橋を渡りきると、そこに一体のオーガが待ち構えていた。鉄の鋲がついた巨大な棍棒がうなりを上げて襲い掛かった。 「邪魔をするな!」 赤い髪をなびかせて、ロンドの槍がひょうとオーガの右肩に突き刺さる。心臓を捉えるはずが、一瞬身をよじって防がれたのは、相手の腕前のせいばかりとは言えない。 ロンドは小さく舌打ちをすると、槍を引き抜き頭上でぐるぐると回して、再び構え直した。 焦るな。落ち着け、落ち着くんだ。ロンドはそう自分に言い聞かせた。 オーガの目を見て牽制しながら呼吸を整える。 全ての神経を研ぎ澄まし、次の一撃に集中する。 今だ!ロンドが将に必殺の一撃を繰り出そうとしたそのときだった。 「姉さん」 牢獄の中から、自分を呼ぶ弱々しい声がした。一瞬声に気をとられる。それが致命的だった。ロンドの必殺の一撃よりも一瞬早くオーガの棍棒が始動していた。 しまったと思ったがもう遅い。最早、仕切りなおせるタイミングではなかった。 ロンドは相打ちを覚悟で槍を繰り出した。が、その瞬間、オーガが悲鳴を上げ棍棒の軌道がずれた。頭を打ち砕くはずの棍棒は左肩を痛打し、それと同時にロンドの槍がオーガの心臓を貫いた。 「ビンゴ!」 スニークがパチンと指を鳴らした。 見ると、2枚の手裏剣が、オーガの両の目に刺さっていた。 深々と刺さった槍の周りを炎の魔力が黒く焦がし、肉の焼ける煙がひと筋たなびいた。ロンドがそれをぐいと引き抜くと、穿たれた左胸の穴から大量の血が噴出し、オーガは膝を折って前のめりに倒れて、そのまま底の見えない奈落の下へと落ちて行った。 「危ないとこだったね、ロンド姉さん」 ロンドは、ああとだけ言って暫く黙り込み、それからもう一度口を開いた。 「ここは素直に礼を言うべきところだろうな。ありがとう」 「礼なんて別にいいけどさ。仲間なんだし」 スニークは少々面食らって答えた。オーガに不覚をとったことといい、今の言葉といい全くロンドらしくなかった。 「もうひとつ、頼みがあるんだが」 「ナニさ、あらたまって」 「妹を、ハンナを牢から出してくれ」 「妹?」 スニークはロンドの顔を見て、それから牢獄の中に視線を移した。薄暗い牢獄の中にひとりの女がいた。その髪は燃えるような赤い色をしていた。 「姉さん」 牢獄の中の赤い髪の女が弱々しい声で言った。 「姉さん、ダメ。この牢の鍵はシーフの技では開けられない」 「ナニ?」 ロンドは牢の中のハンナを見て、それからスニークを見た。 スニークは鍵を調べてからゆっくりと首を横に振った。 「この鍵を開けるには、オフィサークの左手が必要なの」 「ならば、オフィサークを殺して左手を持ってくればいい」 ロンドの言葉にハンナは弱々しく答えた。 「聞いて姉さん。オフィサークは死なない。普通の方法では殺せない。アイツは無敵」 「では、ヤツは、ベアリークは『不死の法』を完成させたというのか」 「ええ」 ハンナは弱々しい声で続けた。 「でも、ベアリークの『不死の法』は不完全なもの。『不死の法』に不可欠な『赤い石』の代わりに、シア・ルフトが造ったまがい物を使ったせいで完全にはならなかった」 そこで、ハンナは激しく咳こんだ。 「ハンナ」 ロンドが声を掛けたのにハンナは大丈夫とばかりに首を横に振って答えた。 「聞いて姉さん。ベアリークがオフィサークに施した『不死の法』には弱点がある」 「弱点?」 「そう、弱点」 ハンナは弱々しい声で続けた。 「姉さん、影を、オフィサークの影を踏んで攻撃して。それ以外の攻撃では、武器も魔法もアイツを傷つけることはできない。アイツは無敵」 「わかった、ハンナ。必ずオフィサークを倒してお前を助け出す」 また、ハンナは激しく咳き込んだ。 「ハンナ、もうしゃべるな」 ハンナは首を横に振った。 「姉さん、まだ、姉さんに伝えなきゃいけないことがある」 「なんだ?」 「アイツは、ベアリークはもうここにはいない。『不死の法』が不完全なものだと知って、ベアリークはここを放棄してしまった。でも」 ハンナは肩で息をした。 「でも、わずかだけれど、シア・ルフトの手掛かりを掴んだ」 「あの『真紅の魔法師』のか?」 ハンナはこくりと頷いた。 「十三年前、シア・ルフトに最も近しい女が、ハノブから『カルスト洞窟』へと向かった」 「では、『真紅の魔法師』も北に?」 ロンドは、『カルスト洞窟』がある大陸の北側の地図を思い浮かべた。 複雑に入り組んだ『カルスト洞窟』は天然の迷宮と言える。身を隠すには格好の場所だ。更にその先には、北の果ての広大なハイランドの地が広がっている。 「だとしたら厄介だな」 「女がシア・ルフトに会いに行った確証はないけれど、アタシが掴んだ手掛かりはそれだけ」 そこまで言い終わるとほっとひと息つく。それから横たわって静かに目を閉じた。 「よかった、助けに来てくれたのが姉さんで。組織の仲間にはこんな情けない姿見せられないもの」 「もういいから休め。必ず助けにくるから」 「姉さん、気をつけて。この空間は安定していない・・・」 そうつぶやくと、ハンナは力尽きたように眠りに落ちていった。 ロンドはそれを見届けてから、スニークに顔を向けた。 「スニーク」 「なにさ、ロンド姉さん」 「今聞いた話は他言無用だ」 ロンドの怖いくらい真剣な眼差しに、スニークはゴクリとツバを飲んだ。 「それって、なんで?ってのも聞いちゃダメだよね」 「ああ。ダメだ」 ロンドの眼差しが凄みを増した。 「わかったよ。オイラも命は惜しいからね。ロンド姉さんの言うとおりにするよ」 その答えに口元を緩めて微笑んだロンドの目は笑っていなかった。
「みんな下がっててよ、この扉のトラップは特大だかんね。万が一にもとばっちり受けたらタダじゃ済まないよ」 そう言って皆を扉から遠ざけると、スニークは慎重に扉の隙間にダガーの薄い刃を滑り込ませた。いつもの癖で下の唇をギュッと噛む。鋭敏な指先の感覚と第六感がダガーの刃先がトラップの『コア』に到達したことを告げた。そのときだった。 明々と燃えるかがり火が一瞬ゆらめいた。それと同時に、スニークは軽いめまいを感じた。 よりによってこんなときに。下の唇を更に強く噛む。唇から血が滲み、鉄の味が口の中に広がった。 ギュッと噛んだ唇の痛みが意識をクリアにし、それと同時にめまいも消え去った。 気を取り直してダガーの刃先をトラップの『コア』に突き刺しグッと力を入れる。すると、扉の表面を青白い炎が走った。 スニークはふうとひとつ息を吐いて額の汗を拭った。 「あとは鍵を開けるだけだから、もちょっと待っててね」 それから先が鍵状に曲がった針金を取り出して、鍵穴に差し込んだ。 一行は、見張りのオーガどもをようやく全て倒し、『天国への扉』から、向かって右側にある扉の前へと集まっていた。 「それじゃあ、影を踏んずけて斬れば倒せるんですね」 「ああ」 ロンドはハンナから聞いた話のうち、ハンナが囚われている牢の鍵を開けるにはベアリークの左手が要ること、ベアリークは無敵でありそれを破るには影を踏んで攻撃するしかないことを皆に説明し、それ以外のことには触れなかった。 「なんだか、影踏み遊びみたいですね」 「これは遊びじゃない!」 「す、すみません」 ロンドの剣幕にナイトはしゅんとした。 丁度そのとき、スニークが「ビンゴ!」と叫んで指をパチンと鳴らした。 「ご苦労だったね、スニーク」 ロンドが声を掛けた。 「うん、まあ一時的だけどね」 「一時的?」 スニークの言葉に首を捻る。 「うん。この扉だけ特別製なんだよね。他の扉もトラップを解除したり鍵を開けたりしてもそのうち復活するんだけどさ、こいつだけ復活する時間が短いんだ。だからハンナちゃんを助けに戻ってくるときは、もう一度トラップの解除と開錠が必要ってわけ」 「でも、復活しても、皆、『シーフの目』で見えているから、うっかりトラップに引っかかることはないですよね」 そう言ってナイトがチラリとメルティに視線を送ると、メルティはうふふと笑った。それで赤くなったナイトは照れ隠しにひとつコホンと咳払いをした。 「それじゃ、トラップが復活しないうちに行きましょう」 ナイトは勢い良く扉を開けた。
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