日本の祭りinながはま2016(長浜市4会場)

10月29日30日、長浜市の4会場で「日本の祭りinながはま」が行われました。

「日本の祭りinながはま」は毎年、どこかの都道府県で持ち回りでおこなわれている日本の祭りイベントです。
長浜市の4会場では、長浜市の祭事を中心に、いろいろな祭事が
◎さざなみ会場(長浜文化芸術会館)◎まちなか会場(長浜中心市街地)
◎北国街道きのもと宿会場(木ノ本駅周辺)◎浅井会場(浅井文化ホール)


29日、長浜駅前通り会場にて、テープカットがありました。


日本の祭りinながはまで、29日・30日に31祭事ありました。その中で18祭事を撮りました。
載せる祭事は、撮った順番です。

冨田人形/滋賀県選択無形民俗文化財
天保年間に阿波から興業にきた人形一座が、この地で雪に降られて興業不能に陥り、
帰りの旅費を得るために置いていった人形を村の芝居好きの人びとが、
見よう見まねで人形浄瑠璃を始めたのが富田人形の始まりとされています。


渋川流剣詩舞道
剣詩舞とは、剣舞と詩舞という2つの舞踊があり、どちらも吟詠に合わせて舞う武道で、
古武道の格式と詩の心を表す芸術性をあわせもってます。


奄美の島唄
島唄のシマとは、自分の集落のことを意味しています。
奄美の人々のアイデンティティは集落にあり、
そこに根付く方言や唄も異なり多様性に富んでいます。
哀調を帯びた三線の旋律と裏声が調和し聴く者の心の奥深くに響き渡ります。


板橋の田遊び・赤塚諏訪神社/国指定重要無形民俗文化財
田遊びは、水田耕作に関わる神事であり年頭にあたって
五穀豊穣・子孫繁栄を祈念する意味を持っています。
一年間の稲作の作業を唱え言葉と所作によって表現し、田の神霊をなぐさめ奮い立たせます。


福田寺公家奴振り
江戸末期、長沢にある西本願寺の御坊・福田寺の住職の妻に彦根藩主の仲介で、
京都の公家の妹が嫁入りしました。その際、京都から長沢まで奴振りが夫人を送り届けました。
長沢の住民は、この行列に感服し、身振り・手振りを覚えて伝承されてきました。


当目の太鼓踊り
江戸時代、当目村が所属する下草野地域の総社である岡高神社に奉納する雨乞い踊りでした。
旧浅井町の山間部に太鼓踊りが多く伝承されていましたが、大半が途絶えました。
当目の太鼓踊りは、途絶えた一つでしたが復活しました。


八日市の太鼓踊り/滋賀県選択無形民俗文化財
江戸時代の末期、当地が干ばつのとき雨乞い踊りとして踊られたのが始まりとされています。


下余呉の太鼓踊り/滋賀県選択無形民俗文化財
明治時代、東本願寺の本堂・御影堂再建で北国街道を通じて
資材が運ばれた際の慰労のため踊られました。
太鼓踊りは雨乞いが叶った返礼として奉納されたのが始まりとされています。


下笠のサンヤレ踊り/国選択無形民俗文化財
室町後期から近世初期にかけて流行し疫病退散・雨乞い祈願として踊られました。


どすこい
江戸時代末期、三重県の伊勢方面から種子島の洲之崎集落を訪れた人によって
伝えられた踊りといわれてます。
大正元年に集団赤痢が発生した際、病魔退散のお祓いとして踊られました。
全島数カ所に分布し伝承されていますが、現在は洲之崎を含め2ヶ所だけしか踊られていません。


タイ民族舞踊
1296年にタイ第2の都市チェンマイでランナー王朝が興り、
建築や仏像の儀式、言葉や料理、工芸の分野などでランナー文化と称され、
タイ北部独自の文化・伝統・舞踊が伝えられています。


梛八幡神社神事獅子舞/兵庫県指定無形民俗文化財
日本後期を始め、その他の古文献に記載され、
社伝によると神功皇后出兵のみぎり何処からともなく獅子が現れ神霊地へ案内したとの故事があり、
これが神事獅子舞奉納の起因と言われています。


日牟礼の左義長行事
信長公記に織田信長安土に於いて毎年正月盛大に左義長を行い、
自ら異粧華美な姿で踊り出たとあり、信長滅びて豊臣秀次が八幡城を築き、
それにつれ安土から移住した人々を中心に八幡宮の祭礼として奉仕されています。
天下の奇祭と呼ばれています。


速水伊豆神社八朔大祭幡母衣/長浜市指定無形民俗文化財
仲哀天皇が当社に戦勝を祈願したところ、
勝利を得たため戦勝報告をされたことがはじまりと伝えられています。
秋祭りの夜、武者は鎧を身にまとい背に24に割った竹に48個の紅提灯をつけ、
幡を立て行列して町内を練り歩き神社に参拝します。


子ども歌舞伎・萬歳樓/国指定重要無形民俗文化財
長浜曳山祭は豊臣秀吉が長浜城主の時、戦乱で荒廃した長濱八幡宮を再興した際、
八幡宮ゆかりの源義家の凱旋の様子を再現した太刀渡りがはじまりとされています。
萬歳樓での演目は、傾城阿波の鳴門 どんどろ大師の場


小倉祇園太鼓/福岡県指定無形民俗文化財
京都の祇園を模して始まった小倉のぎおんさんは、当初は能の形式であったとされています。
山車の前後に載せた二台の太鼓を叩きながら練り歩く形になったのは明治以降とされています。


阿波おどり
四国三郎、吉野川の流れの如く四百有余年の昔から脈々と踊り続けられた阿波おどり、
本場の徳島には、およそ千の団体があると言われています。
その中で、有名連と呼ばれる、特に技術の優れた連が16団体あります。


山形花笠まつり
明治38年、蔵王の観光開発とPRを目的に蔵王夏まつりのイベントの一つとして開催され、
現在では単独のイベントとして開催されています。


30日、さざなみ会場では、NHKさんの公開収録が行われ、フィナーレの様子です。


2016年に行われた「日本の祭りinながはま」の様子です。

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