
夢羅紗紀法師ノ小町 St.Mulasaky'sHomeRoom〜『源平物語集』之注釈 平成19年卯月11ノ日(水)〜
「保元」・「平治」同様、(扱う年代は前後に拡がってくものの、各々)中心となる戦乱ノ年号に因み当初は『治承物語』と呼ばれ、鎌倉前期、「平・源」2大統領家も滅び、復権を狙った京廷も再び武者に席巻され、帝-院以下が遠流等完全に屈服する「承久の乱」の頃、葉室顕時の孫行長か時長が書いたといわれる軍記物語です。
尤(もっと)も実際は、これ迄以上に武者達の言行・装備等も非常に詳細で「衆口」を採り入れ、
というより、年月日等京廷の公私官民の記録や中国史書の教養によりながらも、主体自体が時代を反映し、権威や財を独占してきた上級京家から、低でも武家等中小領主層を広く、後々迄、
盲目の吟遊詩人「琵琶法師」等が語り(といっても唄の様な独特の節回し、間と演奏を挿み、段区切りで何日にも及び、或は次回訪問時迄のお楽しみ!という形で廻り)歩く中で追加-修整等形成されていった事に特徴があり、当初は反乱軍に批判的だったという内容も、依頼・出費の視聴者(盲目ならより敏感な、溜息・身動き等空気迄)の反応・意向見解を反映し、平家以下,戦乱に散った人々の鎮魂、祖先の顕彰、仏教の民衆化、ときの政権下での再組織・統合等、東西等の地域や時代でも多様に変化しており、
現存スル諸原本は、彼らの台本としての「語り本」と、彼らが拠った大寺社に伝わった「読み本」の2系に大別され14c.初〜後半には成立、
江戸期にも幕府の保護統制下、語りが続く一方、刷本も技術発達で普及していき、後者の方が長編は多いのですが、先後関係も史実的正確さも一概に断じる事はできず、
飽く迄も物語と(は本来、語り即チ対面-口承性をもち、必ずしも全く架空幻想とは限らず中には正史に残されない秘密・醜聞・疑惑等の史実を伝える話やそれを基にしたパロディやドキュメンタリー物もありその為か実際ノ制作者名・年月日を秘匿する慣例でしたと思われますが、ソレにしても史実とは別個にしてset史実追究への導入や題材とした史実を知っててこそ趣深い面をモもつ、いわば解り易さや面白さ、相手の興味関心・感動・覚悟の誘発喚起等コソを優先)して(おり、その意味でマサニ典型的)媒体・対象・目的に応じた各々最高の持ち味が追求されてきたのだと考えられます。