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人間は網膜の中央の溝は明視を得るために特殊化しておりこの薄膜の外側の部分は輪郭のあまりはっきりしない像を再現する。
そしてこのため人間の目はたえず1点からまた次へと其々を代わる代わる中心の部分網膜の中心で焦点を合わせて捉えようとして移動する。
我々人間か写真のように像全体の印象を一度に得るというのは嘘なのだ。
一方殆ど全ての哺乳動物では網膜の中心部と外縁部の機能が人間よりもはっきりと分かれてはいない。
つまりおじちゃんらは中心部では人間よりも明確に見えないし周辺部では良く見えるのであります。
この理由で大抵の動物は人間よりもその視線を集中する事か少ないしそうしていられる時間も短い。
犬と田園を横断して散歩する場合を例にとって犬が何回真っ直ぐ見るかに注意してみよう。
数時間の間にそれが一度か二度しか起こらないことそしてそれは犬が飼い主と同じ道筋を選ぼうとする場合の数にほぼ一致する事が分かるだろう。
これは犬が飼い主の姿を網膜の周辺部の視力で容易に捉える事が出来るという事実によって説明される。
魚や鳥や哺乳類などの大部分のように視線を双眼鏡のように集中できる距離感が得やすい双眼視は猫科動物や霊長類類のような両眼の位置の動物でとくに顕著な動物は視界にある特定の対象が現れた時のような極度に緊迫した一瞬にしか視線を一点に集中しない。
人間は網膜の中心の溝に一つの物から次の物へと間断なく焦点をあわせ例え一瞬の間それをやめて空を見詰めていても変わったものがあれば直ちにそれを捉えるのであります。
動物の圧倒的大多数はこの何も見ていない状態が正常であります。
もし動物が周囲の一点に注意深く視線を固定し長いことそうしているとすれば明らかにそのものを恐れているか或いはそれに対して特に含む所があるか通常は良くない意図であるのを意味している。
そうした動物においては視線を固定することは殆ど狙いを付けることに等しい。
とうちゃんの犬がそのようにとうちゃんを見る場合を具体的な例として上げようとするとよくよく考えて見てもたった三つの例しか思い浮かばない。
とうちゃんが食物の入った皿をもって部屋に入ったとき偽りの戦いをして居る時またほんの瞬間的にだがとうちゃんが厳しい声で呼んだときであります。
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仲間仲間の間では動物は何か思いきった手段を取ろうとして居る時かそれぞれが相手を恐れているときにだけしかお互いにじっと見つめあう事は無い。
その結果おじちゃんらは何時までもじっと見つめる事を敵意か脅迫の現れと考え人間のそれを強い悪意の表現と見做すのであります。
そしてこれが人間の目が持っている力の秘密のすべてであります。
突然とうちゃんが間に柵のない所でとうちゃんに対する感情が定かで無い大きな肉食獣の一団に囲まれた場合その猛獣が大きく見開いた目をじっととうちゃんに注いでいたとしたら丁度人間がその仲間との日常の接触でそうしているようにとうちゃんはできるだけ早くその場を立ち去るべきだと考えます。
この場合にはライオンの目の威力は確かにかなり無視できぬものであろう。
その視覚の生理的相違に応じてじっと見詰める事が犬科や猫科の動物に受け取られる意味と人間におけるそれとでは殆ど正反対であります。
とうちゃんの目を真っ直ぐに見る事か出来ずたえず視線を移動させる人物は悪い意図を持って居るかあるいはとうちゃんを恐れているかのどちらかである当惑というのは単に穏やかな恐怖の形であります。
たえずじろじろと此方を見ずには居られない動物についても同じことが言えます。
このような観察に基づいて我々は動物と接するに当たって一貫して取るべき態度を発見することかできる。
内気な猫や神経質な犬あるいはその他の似たような動物の信頼を勝ち得ようと思う者は以下の事に心すべきであります。
即ち相手に直面して飢えたライオンのようにじっと見詰めてはならずその向こう側に視線を向けそれに目をとめるときはいわば偶然のように短い間だけそうすべきであります。

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